ぼくは時々亡くなった祖父のことを思い出す。懐かしむ、というよりは、ああそういえばこんなこともあったか、と大抵の場合は浮かんできた記憶をただ眺めるような具合に。
それは実際に自分がじいさんと接していた記憶だけじゃなくて、人から聞いた話も思い返すことがある。
例えば、じいさんは車の免許を取る前に単車の免許を取っていた。その単車に息子、ぼくの親父を乗せて学校まで送り届けていたようだ。
じいさんが免許を取ったのは50代くらいの頃だったろうか。今のように高校生で教習所に行けるような時代でもなかったから、まだまだ車の免許なんて、それも田舎であれば一般的ではなかったのだろう。それよりは単車の方が取りやすかったはずだ。
ぼくはじいさんが子ども姿の親父を後ろに乗せて走り回る様子を思い描いた。この目で見たことはないから随分と曖昧な映像だけど、自然ふたりとも微笑んだ表情として想像していた。楽しいというのか、嬉しいというのか。これはぼく自身が免許取り立ての頃、家族を乗せて運転したことになにか一抹の誇らしさを感じたことが影響しているのかもしれない。
そんなことをかんがえているうちに、そういえばじいさんにも若い頃があったんだよな、とごく当たり前のことにおもい至った。
ぼくは現在30代だけれども、当然じいさんにだって30代の頃があったわけだ。白髪ではない、シワの少ないじいさんだってそりゃいたわけで、しかしその姿を想像するのはなかなかむつかしい。
けど、自分と同じ30代の時があった、と想像してみるだけでどこか親近感が強まるのは、それはまあ、今自分が30代だからで、じいさんもこんなことかんがえながら生きていたのか、と現在の自分を基準に想像しているからかもしれない。
じいさんかあ。そういや死んだんだな。と、故人の記憶に触れることで、まるで久々に出会ったかのように、今更ながらに気づく。
もうすぐお彼岸の中日、春分の日だ。
今年もじいさんを始め故人共々、花や線香を携えて墓参りに行っておこう。
本人の代わり
ぼくには20年以上の付き合いになるミュウ(ポケモン)のぬいぐるみがある。
おおよそのことはすっかり忘れてしまったけれども、ぼくが小2の97年にアニメの放送が始まり、そのタイミングで買ってもらったものだとおもう。少なくとも小4のときにはもう持っていたはずで、まさか30歳をこえてなおも持ち続けているとは、当時の自分にはおもいもつかなかっただろう。
ゲームの影響もあって(なにせこのミュウ、通常プレイではお目にかかれず、さらにはわざとバグを起こすことで出せたり出せなかったりするのだから、ヤング及川には魅力的であった)ぼくは当初からこの幻のポケモンに惹かれていた。そのためか、今でもなにかの折にミュウを見かけると胸がときめく。三つ子の魂百まで、というのか、子どもの頃に影響を受けた媒体は後々の人生観にまで受け継がれてゆく。ミュウとはまるで少年のこころそのものだ。
そういうこともあってか、そのミュウのぬいぐるみはおそらくぼくの手元にあるものの中で一番の古株になるかもしれない。いろんなものを買っては捨て、買っては売りを繰り返している自分からしたら、やっぱり長い付き合いと感じないではいられない。
ちなみに、うちのオカンにはもう40年来になる湯呑みがある。上には上がいるものだ。貫禄がまるでちがう。
なにかの折にそんな話になった。
確かオカンが、包丁が切れない、と嘆いていて、それなら買い換えれば、となんの気なしに提案したら、この包丁は名前入りだし30年は使っているものだからとどこか思い入れのある口調で言って、それから包丁を手に入れた経緯と湯呑みの付き合いを知ったのだった。包丁と30年、オニババか。
そこから湯呑みになり、オカンが、今使っている湯呑みが壊れたら自分もそれまでだろう、と迷信じみたことを口にした。ぼくの祖母も大事に使っていたものが壊れて間もなくに亡くなったからだと言う。ほんまかいな。
なるほど、そう言った縁起に関する話はたまに耳にするものだった。
オカンにとっては湯呑みが本人の分身というわけだ。
そこでぼくにとってはなんだろうとおもったときに真っ先に浮かんだのがミュウのぬいぐるみであった。
ぬいぐるみというのがまた、妙にそれっぽい気がした。お前がなにかの拍子で壊れたり見当たらなくなったときが、おれのいのちのフィナーレというわけか。まあ、だからと言って慌ててどこかに保管しておく気も起こらず、普通に棚の上に飾っておくことにした。震度5くらいで倒れるかもしれない。そのときはまた起こせばいい。
こういう話にはふた通りの解釈がある。
一方はオカンが話していた、それが壊れると自分も死ぬ、そうしてもう一方は、それが自分の代わりとなっていのちを救ってくれるというものだ。
もしもミュウのぬいぐるみが壊れてしまった際は、ぼくは自分の身代わりになってくれたのだとおもうようにしたいとかんがえた。
ミュウが身代わりというのもなんともおこがましいが、まあ、流通していたぬいぐるみのひとつであるのだから、それでいいことにしておこう。
こんな風にかんがえると、どこか飾っているそのぬいぐるみに一層のおもい入れがわいてくるのを感じた。このぬいぐるみには自分のいろんな記憶が入っている。なるほど、まるでぼくの代わりであるのだった。
もっとも、一番いいのはぬいぐるみが壊れることなく本人の代わりに在り続けることだ。ぼくは久々にミュウのぬいぐるみを抱き上げると、小学生時分の、人生がポケモン一色だったころの記憶を苦笑しながら掘り起こしていた。
ちょうど今、アマプラで『ミュウツーの逆襲』が観られる。時間が空いた時にでもこの映画を観ることにしよう。
黄色い糸
母が知人から大量の服をもらった際、そこに一着の黄色いエプロンが入っていて、せっかくだから、とそれを譲り受けたことがあった。
それ以来、食器を洗うときはそのエプロンに袖を通していた。
不思議なもので、ただの私服で洗うよりもエプロン一枚着るだけでちゃんと洗おうという気分になるものだ。大袈裟に言うなら、ユニフォーム、もしくは作業着みたいなものか。その場その時で着る服があるように、やっぱりエプロンも家事の時に着るとなんだか意識が変わる。やってる感がある。それに実用面でいっても、私服が泡や跳ね水で汚れない。いいものをもらったものだ、とぼくはエプロンを着るのが習慣になった。
そのエプロンをいつものように首からかけた際、その首に掛かるヒモの部分が切れてしまった。
どうやら縫い目の箇所がほつれてしまい、ポロリ、と取れたようだった。
確かに最近、糸が取れかかっていることは知っていたけど、まあまだ大丈夫だろう、と先送りしていた。それがいよいよ取れてしまったのだ。
まさかクリップで代用するわけにもいかないので、ほつれた箇所を縫い直すことにした。
自分でもびっくりだけど、ぼくにはもう15、6年来になるソーイングキットがある。
ボタンが取れたり、ポケットの底に穴が空いた時、それを使って補修してきていた。買い換えればいいものを、なかなか貧乏くさいことをしてセコセコやりくりしてきたわけだ。
ソーイングキット自体もガタがきている。貝のように丸い蓋がパカりと開くタイプのものだけれども、支柱の部分がもう折れてしまっているので完全に上蓋が離れてしまう。まあ、こういうのは使えればいいのでそのままにしている。なんというか、そりゃ10年以上も使っているとなんだかんだで愛着が湧いて、針の先が多少曲がっていたり、糸通しが壊れていても気にしなくなるものだ。
それを使って早速直すことにした。
そこで最初におもったのが、果たして黄色い糸が入っていたかどうかだった。15、6年も開け閉めしているのに、収まっている糸の色を覚えていないなんて、我ながら情けない。
基本的には白と黒しか使っていなかったので、他の色なんて記憶になかった。
黄色いエプロンを縫うのだから、どうせなら黄色がいい。まあ、なきゃないで白でもいいけれども、できれば黄色を使いたかった。
すっかり棚の上で埃をかぶっていたソーイングキットを開けてみると、果たして、しっかり黄色い糸が入っていた。
白、黒、灰色、なぜかミントグリーンと、計五色の糸があった。白はよく使っているので大分少なくなっている。反対にミントグリーンは余裕があった。多分今後も使うことはなさそうにおもえる。
ともかく、ぼくは黄色い糸をある程度引き出した後カットして針に通し、両端を合わせて結んだ。こういう、2本の糸で縫ってゆくやり方にも名称があったはずだけど、すっかり忘れてしまい、今はただそのやり方だけを覚えている。
器用ではないので、ひと針ひと針、通した糸を引っ張ってからまた縫ってゆく。
黄色い糸が、黄色い生地と生地とを結えてゆく。
直す箇所の糸は、最初から通っている糸よりも少し薄い色をしている。まあ、強度は変わらんし、どうせ気にするひともいない。
ぼくはチマチマと針を通していった。
最後に、針に糸をグイグイ回して、親指で回した箇所を押さえて、針を引き抜いてハサミで切れば、ひと通りこれで完成した。
エプロンは、引っ張ってもほつれそうもない。まずまず、首尾よくできただろうか。
ほつれた箇所を黄色い糸が繋いでいる。ぼくはそこに妙なあたたかさを感じながらソーイングキットをまた仕舞うと、エプロンを食卓の椅子にかけておいた。
春のひととき
暦の上では春になった。
といっても、肌感覚ではまだ全然春は遠い。特に東北の山村なぞはこの2月が一番寒いくらいだ。冬至を過ぎてから日の入りは遅くなり、だんだんと明るくはなってきたものの、それでも季節は、新年で気分だけでも和らいだかのような気のする気温からもう一度冬がグッと深まる頃になった。いつだって春の始まりが一番寒い。
まあ、春が寒いうちから始まるのもどこか乙なものだ。ぼくなんかは、必ずらうららかな陽気の、桜が心地良ささそうに咲いている期間じゃなきゃ春とは呼べない、なんてお堅いことはかんがえておらず、この凍えるように寒い時も含めて春であると、随分のん気に構えている。
家の庭から見える自然はまだどこも冬らしさを漂わせている。色とりどりの花など見当たらず、常緑の植物たちも、まだくすんだ色で心持ちだらんとしている。多くの木々は裸の枝を突き出しているばかりだ。
けれども、そのじっと暖かくなる時をひたすらに待っているいじらしいほどの姿は、やがてくる季節の予感を多分に含んでどこか瞑想的でもあり、心惹かれるうつくしさがある。春は冬から始まる。植物たちはぼくらよりも知っている。寒い寒いと騒いだところでしようがない。どうせ春は来るのだ。・・・
少しばかり、家の裏山を散歩に出掛けた。
いつ降ったか忘れた雪は、ぼくの記憶力を体現しているかのようにすっかり消えてなくなっていて、ただ日の当たらない箇所にだけじっと冬眠しているかのように、まるでそうすることでこのまま次に訪れる季節をやり過ごせるとでもいうように、ひと塊りになって残っていた。
次また雪が降れば、あたり一面冬景色へと逆戻りだ。時に暦通りに、時に人間のかんがえた暦など無視して後戻りして、それを繰り返しているうちに、いつの小間にか、気づいたら春がそばに来ている。今年もそんな感じで春になるのだろう。ぼくはそんなテキトウなことをおもい浮かべながら、地面にちらちらと見え隠れしているオオイヌノフグリに注意を向けつつ家に帰った。
本日は初午の日。
午年生まれのぼくにとっては、勝手にご縁を感じる日になる。
なにかウマいものでも食べながら、今日1日を過ごすことにしよう。
見えないものを文学する
いろいろを本をあさっているうちに、佐々木茂美著『「見えないもの」を科学する』という本に出会った。1998年の4月に発行となっている。もう立派な古本だ。
そこには、未だ科学的に認められていない、或いは認めにくい「気」についてあれこれ書かれていた。フリーエネルギー(宇宙エネルギー)の説明があったり、地球は巨大な磁石であると書かれていたり、ぼくにとっては興味のある話ばかりでどんどんと読んでいった。
その中に原子や原子核についての記述もあった。
物質がその固有の性質を持っているのは分子までで、その分子をさらに細かくしたのが原子になる。
さらにその原子の構造を見てみると、陽子と中性子からなる原子核があって、その周りを電子が回っている。電子は公転しながら自転もしている。地球みたいなものだ。
原子の構造を電気的に見ると、陽子はプラス、電子はマイナスであり、そうして、物質の性質はこの電子の動きによって左右されると書かれていた。この辺りが、なぜかぼくの気になった部分だった。
ここからは、ぼくの文学的な妄想ゲーム。整合性など度外視な連想の数々だ。
「この世のあらゆる現象は電子しだい」と本には書かれていた。
電子=マイナスとするなら、この世のあらゆる現象はマイナスしだいということにならないだろうか。
マイナス、ということばは一般的にはネガティブなことを想起させる。生きてゆく上ではあまり好ましくない、なるたけ避けたいものであると言っていい。
気の持ちようであったり、成功のためにはプラスにかんがえることばかりが強調されているけれども、でも実はその影にあるマイナスこそが重要である、という捉え方はなんだか面白味があり、気が楽になるものでもあった。多分それは、あんまりプラスにばかり偏っていても気疲れを起こした経験が重なっているからかもしれない。
そう言えば、物事に変化を及ぼすことを「影響」と書く。「実響」ではなく「影響」つまり影=マイナスこそが現象を変化させているということが漢字にも見て取れる。
このマイナスを単に引き算と捉えるなら、なにを積み重ねてゆくのかと同時になにをどう減らしてゆくのかも大事になってくる。まるで物が溜まりに溜まった身動きの取れない部屋を断捨離してゆくように。深呼吸もまずは吐いてから、と聞いたことがある。人生は案外引き算勝負なのかもしれない。
そんなかんがえを働かせたら、マイナス=虚数、という変換がふと頭に浮かんできた。
サイモン・シンというひとが書いた『フェルマーの最終定理』の中で、ぼくは初めて虚数を知った(いや、もしかしたら学校で習っていたかもしれないけれども、そんなもの覚えてなどいない)。虚数とは意図的人為的に作られた数である、と説明されていたのを多分ぼくの勝手な解釈で記憶している。
確か、どうしても解けないある数学の難問に対して自乗するとマイナスになる虚数を用いると綺麗に解けた、という文章があって、当時のぼくは「なんてこじつけがましい解き方だ」となぜか憤慨していた。自然天然の数の世界に人工物を持ち込むなんて、それが許されるならなんだってありじゃなイカ。と、半分はよく理解できていない自分の言い訳として好印象は抱いてなかった。
ただ、その人工的な虚数がもしも宇宙的な法則ないしはエネルギーの一部であったとしたら、これは面白いんじゃないかとかんがえてからは逆に魅力的な数になった。人間が微力ながらに観測することのできるダークマターの派生系かもしれない、とおもうとまた一歩宇宙が身近なものに感じられる。宇宙はマイナス性によって変化している。「引力」も引く力のことだ。宇宙も計算する。
確かに虚数はひとの意識が作り出した。でもそれは宇宙エネルギーの、少なくとも一端を人間が発見したことでもあり、さらには人間の意識、精神というのは本来が宇宙エネルギーそのものなのじゃないか。人間の精神=虚数が現象=数式を動かすと言うなら、それこそまさに「思考は実現化する」ことにつながってくる。
以下はぼくのざっくりメモだ。
意識=宇宙エネルギー
僕らの個性は分子レベルから始まる 原始レベルに個性はない
個性とは配列 既存の有と有との複合体 個性(私)とは複素数 個性には虚数を交える
自然=プラス 人工=マイナス
マイナスこそがエネルギー
自然数=平面 実数=立体 有理数、無理数=4次元 以上は物質的な数学
虚数=5次元 エネルギーとしての数学
引き算(減少)によって現象を動かし、引き算によって願望を引き寄せる
宇宙は影でできている 何者かの影
虚数とアポトーシス 何かを生成するための必要な引き算
こんな感じで、ぼくは書籍そっちのけで好き勝手ことばを繋ぎ合わせていた。