STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

 all is lost

 すべてを失って、初めて日本人は星空を発見した。
 加藤周一氏の『『日本文学史序説』補講』の或る一部分を勝手に要約すると、そういう風になるのだろうか。
建礼門院右京大夫集』という本の紹介が出てくる。平家が滅びたあと、京都・大原の建礼門院平清盛の次女、安徳天皇の母)をたずねた右京大夫という女性がその帰り道、生まれて初めて星空を見た、という一場面がそこに書かれてあるらしい。彼女はそれまで星空のうつくしさを知らなかった。
 星も星空もそのことばは当時からずっとあった。でもそれらが歌に詠まれることはなくて、月夜や月明かりばかりが平安の世になっても歌われていた。『万葉集』も『古今集』も、そこにたびたび出てくるいまよりも豊かであったろう自然の風物は、それらは畢竟花鳥風月で、それも鳥ならホトトギスかウグイス、花も、花そのもののうつくしさを詠んでいるというよりは花に恋心を託してばかりでほんとうに自然を愛でていたのか疑わしい。山なんてでてこない。
 要するにそこにある自然とは、都の外を含まない文化的習慣的に大いに取捨選択されたものだった。歌人の約束事が知らず知らず題材を、良く言えば洗練、悪く言えば排除していった。
 そんないつまでも当たり前につづくとおもっていた文化や習慣が平家滅亡で一変する。自分たちの存在意義の支えが根底からひとつのこらず崩壊してゆくのは、そこにずっと腰を落ち着けていた貴族であればこそ、自身の無力さと人生の無常とを実感する以上に仕様がなかったのではないか。大げさではなく、彼ら彼女らは世界のすべてを失ったと、感情さえ失って感じていたにちがいない。
 そうしてその平家滅亡が文学的な約束事をも流し去ったときに、そこに発見できたのが、自分たちの文化が見向きもしなかった星空のうつくしさだった。単に星空があるという事実ではなく、うつくしいと感じられる、いままで右京大夫が目にするだけで詠みもせずおぼえてもいなかった星の光。信じようと意識しなくても安心してそこにあった世界がついえ、太陽もなく月もなく明日の保障も消えてなくなった滅亡の先でさえ照らしていたのが、その星の空だった。
 宇宙に散らばっている無数の星の光は、そのときどんなにか彼女の気持の支えとなり、同時にうつくしかったのだろう。環境的にも心境的にも、現代人が見上げるのとは比べものにならないほど、それは目が釘付けになるほどのうつくしい星空であったにちがいない。この星の発見が500年後の「荒海や佐渡に横たふ天の河」につながっているのかとおもうのは、想像の急ごしらえでしかないけれども、これ以降たしかに星空は、或いは宇宙の神秘的なたたずまいは日本文化を照らす風物となった。
 このときの右京大夫の心情はなかなか推し量れない。どん底どん底から見上げた星空の、なんとうつくしくて有難いものであるかは正直おなじような経験でもしないとなかなか汲み取ることはむつかしい。ただ彼女と星空の出会いの話を聞くと、失ったものが多いほど、奪うでも取り返すでもなく、むしろより多くを与えられるようなこれからを送りたいと感じさせられる。

 ちなみにおなじ星空に、ゴッホは人生の旅を見つけ、賢治は鉄道を見出した。ふたりの想像力の深さには口を開けて見上げるくらいしかできない。

 


参考文献

加藤周一 『『日本文学史序説』補講』          2012年・ちくま学芸文庫