ポラロイドSXー70というカメラがある。
やや大きめの弁当箱みたいな四角形で、一見するとカメラには見えない。
これを、上部にポコンと出ているでっぱりをひょいとつまんで引き上げると一瞬にしてファインダーやらレンズやらが顔を出す仕掛けになっている。「アラジンの魔法の箱」などと呼ばれた。
このカメラをつくったひとをエドウィン・ランドという。
そうして、つくるきっかけとなったのが、ランド博士の娘、ジェニファー・ランドの「どうして写真はすぐに見られないの」という一言だった。
このカメラが生まれた1970年代当時、まだデジタルカメラなんてものはなくフィルム撮影が当たり前だった。
フィルムはデジタルとちがい、撮った写真がどうだったのかすぐに確認ができない。また、現像という時間がいる処理があり、それも1枚だけ現像というわけにもいかない。1本数十枚ほど撮ってフィルムをつかいきり、ボケがないかどうか気にしながら時間をかけて結果を待つ必要があった。
待つ、と言っても、この時代はそれが当たり前だから遅いともなんともおもわなかったかもしれない。なにせデジタルカメラなんて知らないから、記者以外はみんな、気長にできあがるまでの待ち時間をたのしんでいたのではないだろうか。
多分現像にかかる時間よりも、いかによく写っているかがひとびとの一番の関心事だった。
そういった、待つのがふつうというかんがえに、ふっとおもいつきをもらしたのがジェニファー・ランドだった。
もともとランド博士がカメラ関係の仕事をしていたのかどうかわすれたけれども、娘の一言を機に即席フィルムの開発にとりかかり、ついでにそのフィルム専用のカメラまでつくった。それがSXー70になる。おそらく、世界初の汎用的実用的なインスタントカメラだった。
撮った写真をカメラ屋にもっていかずとも、しかも数十分程度で完成するさまに、当時のひとはどれほどのおどろきを感じたのだろう、とつい想像してしまう。
撮ってしばらくはフィルムを光に当ててはいけないと知りつつも、薄暗がりのなかにもっていって互いの顔を寄せ合わせながらだんだんと撮影した姿が紙に浮かび上がってくるさまをながめるのは、撮ってすぐに画面に映るデジカメなんかよりもわくわくして、ドラマチックで、魅力的で、まさに魔法におもえたにちがいない。
ただ、実を言うとこの話、実話なのかあとで体よくとってつけた話なのかあきらかになっていないらしい。
発明のきっかけが博士の娘、というのはどこかほほえましいエピソードとして受けとれる。そういうドラマ的なバックストーリーをつけくわえてウケをねらった、ちょっとした作り話かもしれないし、或いはほんとうにランド博士の娘の素朴な疑問がきっかけをあたえたのかもしれない。
こどもの一言というのは、時に大人がおもいもつかないところから発せられてそれが想像と創造との扉をひらくカギともなる。むしろ発想のゆたかさはこどもの方に分があったりする。
ウソかホントかなんなのか、これはカメラも写せない。ならこの場合はほんとうの話として受けとった方がよりこのカメラの姿形と相まってすてきな誕生秘話になる。
女の子の可愛げのある一言が、父のつくった一台のカメラのなかにそっとかくれているとおもうと、ただの機械以上の愛着がわいてくるものとおもう。
参考文献
クリストファー・ボナノス 千葉敏生訳
『ポラロイド伝説 無謀なほどの独創性で世界を魅了する』2013年・実務教育出版