STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

時計と足し引き

 算数の文章問題がうまく解けない子どもがいた。
 単に数式があるだけならすらすらと答えてゆける。それが文章として書かれてあると、文中から数と数式とを組み立てゆく必要があるからそこでまごつくらしい。算数の文章問題は、運動神経はいいけれどもルールがつくと動きが鈍くなってしまう、というような、英語が得意だけどもスピーチになるとあたふたしてしまう、といったような、そんなものなのだろうか。
 特にその子は時刻をあつかった問題で頭を悩ませていた。
 何時何分の何時何分後はいったい何時か。そう言われるともう途端に手が止まってしまって、うまく答えることができない。
 たしかに、よくよくかんがえてみると時計による数の計算は少々ややこしい。
 時計の数の増え方はふつうとはちがい、五十九秒の次が繰り上がって(と表現するのか)一分になる。それからまた六十分経つと今度は一時間になり、かとおもいきや二十四時間で一日となる。区切り方がメートルやグラムとちがっていて、なるほど時刻を計算し始める子どもたちには厄介にうつるかもしれなかった。
 それからその子は、針時計の読み方というのか、文字盤から時間を計算するのも苦手なようだった。
 最も、これはその子に限ったことではなくて、最近の子どもたち全般に当てはまることではないだろうか。
 今ではすっかりデジタル表記、数字だけが時刻を告げている時計の方がすっかり主流になった気がする。そればかりに触れていたら、針時計はちょっとした方言を聞くようなおもいがするだろう。
 針時計が当たり前だった世代なら、時計の足し引きは、針時計の方がわかりやすいとも言える。
 数字を計算するのではなしに視覚をつかって時間を形でおぼえていく。言うなれば現時刻からみちびき出したい時刻まで頭のなかで針をぐるぐる回してゆくイメージだろうか。形としておぼえていれば、たとえ文字盤に数字がなくても針の位置でパッと現時刻がわかる。だからだろう、針時計型の方がおしゃれなデザインが多い。
 時間は基本視覚的なものだから、文章として、つまり聴覚的にとらえるとなるとたしかにまごつく気がする。
 そもそも時計とは、ふつう今現在の時間を知るためにつかうから、どんな時計だって今の時刻だけが表示される。いつまでもきのうのままだったり五分後十分後だけを表示しているものなんてのはない。本当は、何分前とか何時間後とかは(この場合に口にする「前」と「後」も、物を見る際につかう前や後ろとはどうもちがうからややこしい)そんなに必要ではなくて、今さえ知っていればいいのかもしれない。常に、今何時、だけがここにある。このあたり、時間より日にちの方がよっぽど計算しやすい。
 時間に追われたり、忘れたり間に合わなかったり、算数から抜け出せた大人でもこの時間の問題を手なずけるのは一苦労かかるものがある。
 三日と三十一時間四十九分から一日と五時間七十八分を引くと何日何時何分になるか。もしこんな問題でも出されたらそれこそたまったものじゃない。そもそも、時間と時計とはまた別物だろうから、それもまた問題をややこしくしてしまう。
 時間は、日本の電車のように正確にくる。かとおもえばお餅のように伸び縮みもする、よくわからない現象でしかない。時の流れなんて、頭より体の方がよっぽど心得ているとだって言えるだろう。