STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

星座の目

        星座の目
   
 台風に目があるように星座にも目があることにしてみるなら、それはやっぱり北極星になる気がする。
 北の空にカメラのレンズを向けて、星の軌道を写すようにシャッターを開いたまま撮った写真をよく見かける。そこでは北極星だけが点になっていて他の星たちはその周りをぐるりするように曲線化する。
 全天には88もの星座が浮かんでいて、それら全ては不動の星、北極星を基準として回っている。あんなにたくさんの星がたったひとつの星の周りを巡ってゆくのだから、そこにはなにか地球の自転が起こす宇宙の数式的とも言える不思議な魅力を感じる。多分昔のひとびとも北極星にあれこれの象徴を見ていたにちがいない。
 地球は、この宇宙の蛇の目というのか一つ目小僧に見守られてぐるぐる回っていることになる。地球からしたらそれこそ北極星は宇宙の中心とでも言えるだろうか。宇宙のおへそ、星の年輪、地球の魔法陣、そこまでの例えはちょっと大袈裟か。
 ところで南には北極星のような点になる星がない。その代わりに南十字という星座があって、これを南極星と呼んでいるひとたちもいる。4つの星を結んだ星座なので、南には星座の目が4つもある。
 もちろん先に書いたように南十字は動いている。北極星が形を変えない太陽なら、こちらは時とともに姿を変えてゆく月に例えられるだろうか。
 いくつかの星座関連の本を読むに、4つの目で手厚く見守られている南半球の方が心なしか夜空が目からこぼれるほどに輝いているようにもおもえてしまう。4つも目があると焦点を合わせるにも難儀するためか、北極星には偽物はないものの南極星にはニセ南十字があるそうだからややこしい。南の空では星の曲線がおだやかで、地面に平行するみたいに伸びてゆく。
 ちなみに、星座の数を88に決めたのは日本ではないはずだけれども、偶然にも日本には「八十八夜」や「四国八十八ヶ所霊場」など88にまつわる数が目につく。
 八十八好きの日本人は、仮に星座のご朱印帳でもあったなら星巡りをするのだろうか。
 
        星座の鼻
   
 星座の鼻、と言ってもピンとくるものがなかった。
 突き出ている鼻は、顔の中でもよく目立つから夏や冬の大三角、或いは一等星、それぞれの星座の最も光っている星、とでもなるだろうか。ポコン、と飛び出た星座はないものの、春の大曲線というのはさながら象やピノキオの鼻のごとく伸びている。
 北斗七星の先っぽの方を伸ばしていって、アルクツルス(アルクトゥルスアークトゥルスとも)とスピカを通るように線を引くと大きな曲線ができる。これが春の大曲線で、オリオン座や夏冬の大三角並みに見つけやすい。
 鼻、というとクレオパトラが浮かぶ。
 彼女の時代のエジプトも今みたいに砂漠が広がっていたのであれば、夜空はすこぶるきらめいていたはずだとおもう。その中に彼女の目に、いや鼻につく星座だってあったかもしれない。
 星座の中には鼻の効きそうな生き物もいて、コイヌ座やコギツネ座、オオカミ座などがいる。
 魚座の形なんかは、見ようによっては鼻に見えなくもない。
 鼻を華と曲解するなら、全天で最も明るいシリウスを持つオオイヌ座、あとは最も大きなウミヘビ座となるだろうか。
 
        星座の口
 
 口のようにポカンと空いているというなら、星座よりもコールサックの方が合う。
 暗黒星雲というなんだか必殺技みたいな名前がつけられていて、肉眼なら天の川にポッカリと穴が空いたように見えるらしい。これは残念ながら南半球に行かないと出会えない。川に虫食いができるのも、夜空の川ならではか。
 虫食いというなら、ブラックホールなんてのは宇宙をエサにしているふてぇ野郎とも言える。星も光も飲み込んで虫歯や消化不良に陥らないのだろうか。宇宙には歯磨き粉も胃薬もない。それに食べたものはどこかにポイッと吐き出しているのだろうか。
 飲み込む、と言えば、天の川は英語圏ではミルキー・ウェイ、乳の道と名付けられている。
 日本は霧やら雨やら湿気が多くて案外天体観測には向いていない。それが外国だとカラリとした天候で天の川もより白くながれている。
 おそらく乳の道とおもいついたのは羊飼いや牛飼いであろうと想像する。白色から乳を連想したのもうなずける。この乳の道をグビグビ飲んでいるのがどこかにいるのか、それがブラックホールなのか。昔の人も大きな口の主を想像しただろうか。
 
        星座の耳
 
 パンの耳と言うように、耳には端っこの意味が込められている。
 星座の端っこはどこかとかんがえるに、夜空から地上に思考を移して、星座早見盤の日付と時刻を合わせる歯車状の部分がそうではないかとふとおもった。
 星座早見盤は手軽に、いつどこでどんな星座が見られるのかをみちびいてくれるし、星座の大きさ、形も教えてくれる。単に星空をながめるよりもちょっとは種類と位置に詳しくなりたいとき、望遠鏡や双眼鏡よりも安価に手に入る。
 早見盤の、周辺のギザギザ、つまりは耳をぐるぐる動かして現在の夜空に合わせる。もちろん未来の配置を先取りしてもいいし、過去にさかのぼってもいい。これなどはちょっとした星のタイムマシンか。回り灯籠のようにぐるぐるさせながら、手の平にのる星空をただ見ているのもいい。
 そんな風にして盤の星座をながめていると、この星座早見盤は星座時計にもおもえてくる。今でも時計の中にはクロノなんとかという計算尺の機能を持ったものがあるけれども、日時を合わせて星座を割り出す仕組みは、時計の文字盤周辺のギザギザを回して数をみちびいてゆく方法と似ている。
 時計が人間の生活のために回り、星座早見盤は星座の運行を知るための時計となる。そこでは針の代わりに星座や天の川がゆっくりと傾いていく。88の星座でつくられた全天の星座盤。その周辺に広がる宇宙のその他の星々もまた、こんがり焼けた星座の耳と言えるのかもしれない。
 
        星座の擬人化
 
 そもそも夜空には星しかなかった。
 それがいつの頃からか、ひとが星と星とを結んで、星をつかって夜空を描きはじめた。
 そこから星座が生まれて、星座にちなんだ物語が生まれていった。人物どころか、神や動物や魚や、道具だって夜空を照らす星座になった。
 そうやって星に座った88の形たちが、月ごと季節ごとに交代で夜空を巡ってゆく。地球の夜はいつでも物語がながれていて、それはさながら眠れない子どもにお話を聞かせているようでさえある。
 星にいのちを与えたのは、誇張するなら人間ということになるだろうか。
 もちろんなにも知らない星たちは、何千何万光年離れた先々でひとのことなどお構いなしに光を地上に運んでいる。