野村英夫というひとの本があって、そのひとつに「堀辰雄跋」と表紙に書かれてある詩集がある。
この「跋」とはなんだろう、と気になって調べてみた。
跋は「ばつ」と読むらしかった。
よく小説の終わりにある後書きと同じ意味で、要は本の最後に書き添える文章のことになる。跋文とも書く。踵(かかと)の意味からきたらしい。
ばつ、なんて発音をただ耳で聞くと、バッテンの方しか頭に浮かんでこない。多分大方のひとはこの連想になるとおもう。編集者や本作りに詳しいひとなら先にこっちの意味が浮かぶのだろうか。
この詩集は昭和28年7月に発行されていて、著者の野村英夫はそのおよそ5年前にすでに故人になっていた。だからこの詩集は他のひとたちの手によって彼の遺稿を集めた編集になっている。本人ではなく、別のひとが跋文を書いている理由がそこにある。
堀辰雄は野村英夫にとって師のようでもあり、歳の離れた友人でもあり、また兄のような存在だったと想像する。
その堀が、亡き友のために1冊の詩集の後書きを書いたのは、その亡くなった野村英夫にとってはちょっとした贈り物になったに違いない。堀自身も跋文の中で、詩集を上梓できるのは嬉しいとすなおに気持をつづっている。
実はその堀も、この詩集が発行される約1ヶ月前に亡くなっている。
跋文に、道半ばにて俄かに病が篤くなって倒れたのはいかにも惜しいことだ、と野村のことを書いたその本人も、本の完成を見る前に病で、同じく道半ばで倒れてしまった。この跋は堀の生前最後の文章ともなった。
『野村英夫詩集』はそんな、なにか或る種死を支えとしてできあがっているようにも見える。
最も令和の今となっては、編集に携わった角川源義や中村真一郎をはじめすべてのひとびとが故人になってしまっている。本は多く故人によって支えられている。そうしていつの日か、もしまた野村英夫の詩集が制作されるときは新しい生きたひとの手によって製本がなされて、新しいひとの跋が書かれて、新しい読者の手にわたってゆく。跋を、掛け算の記号と捉えるのなら、その後書きは旧と新とを繋いで増やしてゆく文章、ともとってみたい。
跋とは今現在のひとからの、故人への手向けや後押し、いや握手なのかもしれない。
参考文献