STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

 広辞苑第三版

 1983年に出た広辞苑の第三版にはまだ「焙煎(ばいせん)」ということばは載っていない。
 第四、五版は知らないものの、これが2008年発行の第六版になるとちゃんと入っている。この25年のあいだに珈琲1杯ができるまでの経過に関心をもち、ただ飲むだけではなくて自分で豆をひいて注ぐひとが増えたということで市民権を得たのだろうか。
 ところで、第三版にはことばをさがす上で便利な、「あかさたな」がそれぞれどこにあるのかを記した側面のあの印がついていない。第六版ともなるとそれぞれの行どころか一音ずつで目星がつけられるようにできているものの、旧版をつかってことばをさがす以上は大体の見当をつけてひらく以外ない。一発で目当ての音、たとえば「は」ではじまる単語を引くのには辞書をつかいこむほど慣れる必要がある。
 ふと、弦楽器に似ているというおもいがうかんできた。
 ギターの場合、弦が通っているネックの部分にフレットという金属の棒、或いはポジション・マークと呼ばれる白い点がついていて、指がどの位置の弦を押さえればいいかの目印になっている。それが辞書にとっての「あかさたな」の印とおなじだとおもえた。
 とすると、それがないバイオリンやチェロなどの楽器が広辞苑の第三版に相当しそうな気がする。
 素人目にはフレットの有る無しなど関係なしに、よく目をつむってだって楽器を弾けるひとがいるものだと唖然とするほかない。どこをどう押さえれば求めている音ができあがるのか、熟練の奏者は心得ている。
 経験による感触が生んだ賜なのだろうか。体でおぼえる、とはよく耳にするけれども、もしかすれば、旧版の辞書に慣れ親しんだひとならこの弦楽奏者のように手早く目的の単語を引き当ててしまえるのかもしれない。
 辞書を引く姿というのはなんの味気もない事務的なものと言える。それがこうやって弦楽器を関連づけて見てみると、なんだかそんな地味な作業がどこか文芸的なひと手間とでも呼びたくなるほどの、時間をかけて身につけた技術のようにもおもえてくる。それも旧版という少々あつかいづらい辞書であればこそ余計に、それをこともなげにつかいこなす姿は所作とあらたまって言いたくなるほどの動きに見えてくる。
 そうやってページをめくられるただのつかい古された辞書は、そのやつれた部分からアンティークというのか、或いはメランコリックとでもいうのか、そんな雰囲気が顔をのぞかせているように感じられるときがある。こすれる紙の音にもしっとりとしたおもむきがわく。一定年数経ち、あらたな単語をふくんだものへ買い換えが頭をよぎっても、つい、それで間に合わせてしまうひとは多い。
 とは言っても、辞書の本分は知りたいことばの意味を調べることにある。
 そこで「焙煎」を広辞苑第六版でひらいてみると、「(コーヒーの豆を)火熱で煎ること。」と記してある。第七版ではより詳しい説明になっているかもしれない。