ぼくは時々亡くなった祖父のことを思い出す。懐かしむ、というよりは、ああそういえばこんなこともあったか、と大抵の場合は浮かんできた記憶をただ眺めるような具合に。
それは実際に自分がじいさんと接していた記憶だけじゃなくて、人から聞いた話も思い返すことがある。
例えば、じいさんは車の免許を取る前に単車の免許を取っていた。その単車に息子、ぼくの親父を乗せて学校まで送り届けていたようだ。
じいさんが免許を取ったのは50代くらいの頃だったろうか。今のように高校生で教習所に行けるような時代でもなかったから、まだまだ車の免許なんて、それも田舎であれば一般的ではなかったのだろう。それよりは単車の方が取りやすかったはずだ。
ぼくはじいさんが子ども姿の親父を後ろに乗せて走り回る様子を思い描いた。この目で見たことはないから随分と曖昧な映像だけど、自然ふたりとも微笑んだ表情として想像していた。楽しいというのか、嬉しいというのか。これはぼく自身が免許取り立ての頃、家族を乗せて運転したことになにか一抹の誇らしさを感じたことが影響しているのかもしれない。
そんなことをかんがえているうちに、そういえばじいさんにも若い頃があったんだよな、とごく当たり前のことにおもい至った。
ぼくは現在30代だけれども、当然じいさんにだって30代の頃があったわけだ。白髪ではない、シワの少ないじいさんだってそりゃいたわけで、しかしその姿を想像するのはなかなかむつかしい。
けど、自分と同じ30代の時があった、と想像してみるだけでどこか親近感が強まるのは、それはまあ、今自分が30代だからで、じいさんもこんなことかんがえながら生きていたのか、と現在の自分を基準に想像しているからかもしれない。
じいさんかあ。そういや死んだんだな。と、故人の記憶に触れることで、まるで久々に出会ったかのように、今更ながらに気づく。
もうすぐお彼岸の中日、春分の日だ。
今年もじいさんを始め故人共々、花や線香を携えて墓参りに行っておこう。