STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

本人の代わり

 ぼくには20年以上の付き合いになるミュウ(ポケモン)のぬいぐるみがある。
 おおよそのことはすっかり忘れてしまったけれども、ぼくが小2の97年にアニメの放送が始まり、そのタイミングで買ってもらったものだとおもう。少なくとも小4のときにはもう持っていたはずで、まさか30歳をこえてなおも持ち続けているとは、当時の自分にはおもいもつかなかっただろう。
 ゲームの影響もあって(なにせこのミュウ、通常プレイではお目にかかれず、さらにはわざとバグを起こすことで出せたり出せなかったりするのだから、ヤング及川には魅力的であった)ぼくは当初からこの幻のポケモンに惹かれていた。そのためか、今でもなにかの折にミュウを見かけると胸がときめく。三つ子の魂百まで、というのか、子どもの頃に影響を受けた媒体は後々の人生観にまで受け継がれてゆく。ミュウとはまるで少年のこころそのものだ。
 そういうこともあってか、そのミュウのぬいぐるみはおそらくぼくの手元にあるものの中で一番の古株になるかもしれない。いろんなものを買っては捨て、買っては売りを繰り返している自分からしたら、やっぱり長い付き合いと感じないではいられない。
 ちなみに、うちのオカンにはもう40年来になる湯呑みがある。上には上がいるものだ。貫禄がまるでちがう。
 なにかの折にそんな話になった。
 確かオカンが、包丁が切れない、と嘆いていて、それなら買い換えれば、となんの気なしに提案したら、この包丁は名前入りだし30年は使っているものだからとどこか思い入れのある口調で言って、それから包丁を手に入れた経緯と湯呑みの付き合いを知ったのだった。包丁と30年、オニババか。
 そこから湯呑みになり、オカンが、今使っている湯呑みが壊れたら自分もそれまでだろう、と迷信じみたことを口にした。ぼくの祖母も大事に使っていたものが壊れて間もなくに亡くなったからだと言う。ほんまかいな。
 なるほど、そう言った縁起に関する話はたまに耳にするものだった。
 オカンにとっては湯呑みが本人の分身というわけだ。
 そこでぼくにとってはなんだろうとおもったときに真っ先に浮かんだのがミュウのぬいぐるみであった。
 ぬいぐるみというのがまた、妙にそれっぽい気がした。お前がなにかの拍子で壊れたり見当たらなくなったときが、おれのいのちのフィナーレというわけか。まあ、だからと言って慌ててどこかに保管しておく気も起こらず、普通に棚の上に飾っておくことにした。震度5くらいで倒れるかもしれない。そのときはまた起こせばいい。
 こういう話にはふた通りの解釈がある。
 一方はオカンが話していた、それが壊れると自分も死ぬ、そうしてもう一方は、それが自分の代わりとなっていのちを救ってくれるというものだ。
 もしもミュウのぬいぐるみが壊れてしまった際は、ぼくは自分の身代わりになってくれたのだとおもうようにしたいとかんがえた。
 ミュウが身代わりというのもなんともおこがましいが、まあ、流通していたぬいぐるみのひとつであるのだから、それでいいことにしておこう。
 こんな風にかんがえると、どこか飾っているそのぬいぐるみに一層のおもい入れがわいてくるのを感じた。このぬいぐるみには自分のいろんな記憶が入っている。なるほど、まるでぼくの代わりであるのだった。
 もっとも、一番いいのはぬいぐるみが壊れることなく本人の代わりに在り続けることだ。ぼくは久々にミュウのぬいぐるみを抱き上げると、小学生時分の、人生がポケモン一色だったころの記憶を苦笑しながら掘り起こしていた。
 ちょうど今、アマプラで『ミュウツーの逆襲』が観られる。時間が空いた時にでもこの映画を観ることにしよう。