STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

幼い日の記憶

 鶴の舞橋という日本一長い木造の橋を見てみたくなって、ぼくは青森に旅に行ったことがあった。
 岩手からまずは新青森駅まで新幹線に乗り、そこからは在来線の奥羽本線に乗り換えた。川部駅でまた五能線に乗り換えた。
 ぼくが降り立ったのは陸奥鶴田という駅だった。駅舎の造りも、どこか羽を広げた鶴をおもわせるおしゃれな見た目だ。
 鶴の舞橋が観光名所であるためか、あちこちで鶴をあしらったデザインを見た。
 コインロッカーであらまし荷物を預けて、ぼくは旅の目的地を目指した。
 本来なら、そこへは車で行くべきなのだろう。なにせ最寄り駅から歩いて1時間弱。道路も、歩道が確保されているわけでもなく、ぼくはしょっちゅう車の邪魔になった。
 それでも、自分の歩調で少しずつ移ってゆく光景は、旅情をそそられるものがあった。さすが青森と言わんばかりに平地にはりんご畑が広がり、その向こう側に続くように岩木山がそびえていた。そびえる、というよりは、ゆったりとやわらかく佇んでいる。
 りんごの枝は道路にまではみ出さんばかりで、収穫間近の赤い実が日の光を受けながらたくさんなっていた。
 そんなりんごの町を歩いて3、40分ほど立った頃だろうか。
 通路右手、奥まったところに校舎のような2階建ての建物が見えてきて、ぼくはふと足を止めた。
 それは緑色の屋根をした木造の旧小学校だった。
 「鶴田町立水元小学校」とプレートには書いてあった。今は伝承館として機能しているらしい。
 木造の校舎というのは、そこにあるだけでどこかなつかしさをそそられるものだ。時の長さと木のあたたかさを感じさせるからだろうか。それが旅先で偶然発見したものであれば、なにかその感慨もひとしおだった。
 ぼくはその校舎の雰囲気につられて、メインディッシュの橋の前に寄り道することにした。
 校舎の入り口を開けると、受付のおねいさんが簡単な説明をしてくれた。
 ここは19年前まで児童がいたとのことだった。その後別の小学校と合併し、廃校となり、今は伝承館として開放されているとのことだった。
 ぼくは順路に従い廊下を歩いた。
 往時には子どもたちの活気に満ち溢れていた校舎も、役目を終え、定年退職した今では、ひとり分の歩く音だけでもよく響いて聞こえた。天井から吊り下がっている「静かに」と書かれた看板が、なんだか余計に室内の静けさを、むしろ寂しさをも感じさせるのだった。
 ぼくはいつしかなつかしさを抱きながらゆっくりと歩いた。それは自分が小学生だった頃をおもい出していたということよりも、幼い頃に見ていたテレビ番組の影響が大きい。
 ぼくがまだ5、6歳の頃、『ポンキッキーズ』という番組があった。
 そこでは毎回エンディングで、米米CLUBの『Child's days memory』が使われていた。その際或る小学校の木造校舎が映像として流れていて、それが印象に残ったのだった。
 当時のぼくは、エンディング前にやっていた『機関車トーマス』を見んがために『ポンキッキーズ』を見ていたので、そのエンディングはおまけみたいなものだった。
 というか『機関車トーマス』の時点でちょうど保育所に行く時間と重なっていたこともあったので、エンディングは父に録画してもらったビデオでたまに眺める程度でしかなかった。話と話の間に流れるCM程度の認識だったかもしれない。
 それが不思議なもので、大人になってからふとその曲をおもい出しふただび映像を見てみたら、その歌詞の内容とともに、流れてくる校舎にとてもなつかしい気持を抱いてしまっていた。
 どうしてもっと早くにこの映像の魅力に気がつけなかったのだろう。
 その映像によく似た校舎にいることで、まるで自分がその映像の中にいる錯覚を覚え、それが余計になつかしい感情を引き出してしまうのだった。まさか旅先でこんな体験ができるだなんておもってもみなかった。そもそも小学校の、それも木造の校舎に入れるなんて経験は普通できない。そういった突然の出会いであればこそ、すなおにぼくのこころがありのままの感情をわかせることができたのかもしれない。
 いや、もっと単純に、自分が大人になってからようやくその良さに気づいた『Child's days memory』の映像を我が身で追体験できるような気がしたことがうれしかったのだ。それが突然のことだけに、余計に嬉しかった。
 ぼくは『Child's days memory』の映像を真似しながら、自分でも教室内や廊下の動画を撮っていった。室内は陽の光と静けさとで満ちており、この静けさに溶けてゆくように、当時食い入るように『ポンキッキーズ』を見ていた幼い日の記憶が自然とわいてくるのだった。
 同時に、とても穏やかな心持に包まれた。なんというのだろう、ようやく「もっと早くに・・・」という後悔をなだめることができた心境になれたのだろうか。
 蛇口の影、階段の手すり、机の傷、黒板消し━━、そんななんでもない風景の一部のようなものが、なんでもないものだからこそ、愛おしいものに感じられた。それらのものが静謐な空気の中で眠っている様子は、とてもこころ落ち着く光景だった。
 ぼくは終始顔がほころんだまま、30分ほどかけて木造校舎を歩いて回った。
 
 小学生の頃はあんなに大きく感じた校舎も、中学校に入ってから来てみたらひどく小さいものに見えたものだ。昔、そんな体験をした。
 一体どういった感覚の作用がはたらくのだろう。端から端まで渡るのに随分と長く感じた廊下なのに、その長さにおどろいていたのに、大人になってみたら、なんてことはない短さで、当時の自分の感覚が逆に不思議だった。児童に合わせて建てられた校舎の寸法に、自分がそれだけ合わない大人になったからだろうか。
 建物を出てから晴れやかな空を見上げたとき、そんな突拍子もないことが頭に浮かんできた。木造校舎のたたずまいと真っ青な空にあてられたのかもしれない。おかしなことだった。
 ぼくは不可解な、でも全然不快ではないそんなおもいを胸に、本来の旅の目的地、鶴の舞橋へと再び歩いていった。
 
 ・・・まあ、橋は工事中だったけど・・・