STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

パフとエルマー

 8月。
 横浜へ旅をしてから、東京に行って、夜は友人と再会した。その際プレゼントをいただいた。
 宿に戻ってから中を開けてみると、ハンカチとバッチが入っていた。どちらも見覚えのある作品、『エルマーのぼうけん』のものだった。
 早速友人にお礼のメールを送ると、ちょうど立川にて『エルマーのぼうけん』展が開催中との情報もいただいた。いたれりつくせりとはこのことか。ぼくは重ね重ねお礼を述べた。センスの良い友人がいるというのは本当にありがたいものだ。
 自分でも調べてみると、play!  museumという施設で10月まで開催しているらしい。これといって計画を立てていた旅ではなかったので、これもひとつの縁と捉えて、ぼくは明日の楽しみのために寝た。
 
 次の日は雨上がりだった。
 ぼくは泊まり先の調布をぶらぶらしながら、おしゃれなカフェでモーニングをいただいた。
 ハムチーズトーストにサラダとコーヒー。立ち昇る湯気といっしょに香りを嗅いでいると、こういうところでは珈琲と表記したくなるなあ、とぼくは一口つける前にその香りを味わっていた。何様のつもりか知らんけど。 豪快に手でトーストを頬張った。うまい。カリッと焼けたパンに挟まれているのはねっとりしとしたチーズで、濃厚だった。サラダもシャキシャキしている。
 旅先の、カフェでの朝食というのは、いつもと違って朝がとても新鮮なものに感じられる。
 ぼくがそんなおもいになるのに、窓からの景色も一役買っているように感じられた。
 ぼくが入ったお店は2階にあり、外に目をやれば、そこには雫を連ねた電線があり、すぐそばには一本の木が密やかに立っている。小さな神社の境内から生えているらしい。
 その神社に、ひとりの大学生風の男性が入ってゆき、そっと参拝をしては、またそっと後にする。まるでそこにいます神様を起こさないようにと務めるように。そうして木が道路に落としていった葉っぱを箒で掃くおじさんが続いて登場する。黙々と、淡々と、それが日課であるかのように葉っぱを掃いてゆく。━━━そういったガラス越しのなんでもない景色が、妙にぼくのこころを穏やかにしてゆく。ざわめきのすくない店内が心地良さを増し、目の前にある食材になにかより一層の親近感が湧いてくる。やはり、旅先の朝食はぼくにとっては快いひとときだ。
 そんなしみじみとしたおもいで、ぼくは朝食を済ませた。
 さあ、腹ごしらえの後はエルマーだ。
 
 調布から立川に行くのに、ぼくは多摩モノレールを選ぶことにした。
 まずは京王線に乗り高幡不動駅で降りた。久々の高幡不動に思い出をよみがえらせつつ、しばらく歩いて多摩モノレールの改札へと足を運んだ。
 この、高いところを優雅に走るモノレールを最初に見た時には、東京すげーと実にすなおに感動したものだ。
 上北台と多摩センターとを結ぶその空中列車は、立川や多摩センターに行く際よく利用しては車窓から見える光景を楽しんだものだった。
 そのモノレールに乗り込んだ。
 一番前の車両。そこには夏休みの日曜日ということもあり、子ども連れの家族がひらけた景色を眺められる席に座っていた。子どもが左右に首を振りながらいちいちの景色を見ている様子は微笑ましい姿であった。
 程なくして立川北駅で降りた。
 カンを頼りに歩を進めると目的の施設が見えてきた。いや、別にカンに頼らずとも真っ直ぐ進んでていれば着くようになっていた。
 そこは建物に息を合わせるかのように植物が植えられた、見た目にも心地良さそうな空間であった。
 地方にいると、東京という場所はどうしても堅物なコンクリートの建物群みたいなものしか想像しないけれども、こうして実際に足を伸ばすと、緑の多さ、多様さを実感しないではいられない。
 その緑が商業施設、ひいては景観とぶつかり合うわけでもなく目の保養も兼ねているのだから、改めて東京の街造りのきめ細やかさにぼくは感嘆した。別に都会に無理苦理自然を落とし込む必要はないのだ。そこではすなおに人間の生活を主体とした、憩いとしての緑があるくらいがちょうどいい。
 ぼくは色々の施設を横目に、play!  museumに向かった。
 ありがたいことに、入り口付近でちゃんとエルマー展の案内をしてくれていた。
 が、ぼくはなにを勘違いしたのか、そのまま案内に従えばいいものをエレベーターに乗って3階に上がってしまった。
 確かに『エルマーのぼうけん』の主人公の名前はエルマー・エレベーターだけれども、こんなところでシャレを披露したところでなんにもならん。
 3階には子どもたちが遊ぶための広場があり、ぼく以外全員が親子連れであった。場違いとはこのことである。
 ぼくといっしょにエレベーターに乗った、ベビーカーを押す3人家族もぼくをどこか不可思議な眼差しで身を引いて見ていた。嗚呼、やめておくれ。
 追い討ちは、施設の方にどのようなご用件で? と問われたときだった。
 明らかに疑りの目を向けていた。そりゃそうだ、独り身がのこのこ来るべきところではない。
 どうもすみません、とぼくは林家三平風に謝りエルマー展について尋ねた。それはひとつ下の階ですと教えていただき、ぼくはそそくさと階段を降りていった。
 そんなことはあったものの、なんとかエルマー展へとこぎつけた。とんだ冒険をしでかしたものだ。
 受付でチケットを手に入れると、おまけとして二つ折りの細長い紙をいただいた。
 細長い紙、と書くと味気ない表現だけれども、それは開くとエルマーのぼうけんの一場面が描いてあるちょっとしたペーパーアートであった。切れ目に沿って紙を折るとエルマーが飛び出したような形になる、遊びごころのあるおまけであり、ぼくは展示物を見る前からウホウホ興奮していた。おいおい、ゴリラじゃないんだから。
 入場口では、りゅうのオブジェが出迎えてくれていた。これから絵本の世界を巡るのだとうわくわく感が増してゆく。
 エルマーのぼうけん展は、展示物を順々に見て回る一般的な巡り方とは違い、体験型、つまりは実際にエルマーの世界に入り込めるような造りとなっていた。
 そこには一本橋があり、ワニの背中もあり、自分の足でそこを歩いて進めるのだった。挿絵をプリントした大きなパネルもそれらに合わせて配置されていて、施設内にいる子どもたちが楽しそうに歩いていた。
 そうして壁にはエルマーの原画が展示されており、そちらは大人たちが熱心に見入りながら写真を撮っていた。
 原画は目で憶えろ、がぼくの心情なので、カメラはポケットに仕舞い込んだまま、画用紙の柔らかな質感が伝わってくるような味のあるざらつき感を持ったその絵をガン見していた。
 エルマーはカラーも美しいけれども、なんと言ってもこのモノクロ画だ。
 たった一色の濃淡で動物たちやジャングル内を豊かに描いているのだから、目の前の原画にため息しか出ない。
 ぼくは他のお客さんたちの頭の間から原画を見ながら順繰りに進んでいった。・・・
 
 『エルマーのぼうけん』との出会いは保育所時代のときだった。
 お昼寝の時間の際、みんなが寝付く前に読み聞かせてもらっっていたのが『エルマーのぼうけん』だった。ぼくのエルマーは声から始まっていた。
 耳から入ってくるエルマーの一々の動きは、子どものぼくには新鮮で魅力的で、すぐに次が知りたくなるお話だった。保育の先生が、きょうはここまで、というのがいつも不満だった気がする。
 先生がいなくなってから、みんなで先生が置いていった本をこっそり読もうとしては、寝なさいと怒られた記憶もうっすらと残っている。エルマーはぼくにイタズラも教えてくれたものだ。
 小学校に上がって、自分の好きな本を紹介する、という授業があったときに、他の子が真っ先にエルマーをおさえるのを見て悔しかった思い出もある。その出来事をきっかけにひねくれたこともあってか、ぼくはそれからエルマーなんてもういいや、と離れていった。
 その後機嫌を取り直してどこかのタイミングでは読んだけれども、実はぼくは全3冊あるエルマーシリーズの内、最初の1冊しか読んでいない。或いは憶えていない。
 今回の展示でも、『エルマーとりゅう』および『エルマーと16ひきのりゅう』のところへくると、憶えていない、いや全然知らない絵ばかりだった。
 多分忘れたんじゃなくて、きっと読んでいないのだ、とぼくはそんな確信を持った。それに気づくと、このまま展示物を知ったふりして歩くのも、なんというか悪い気がしてくるのだった。
 これは改めてちゃんと読んだ方がいい、読んだこともないのに作品の面白みを表面ばかりかすめ取るように原画を見て歩くのは、自分が一番つまらない。ぼくはそうおもうと、企画側には申し訳ないものの、後はそそくさと足早に見て回った。その他の展示はよりエルマーを知っているひとたちに託すことにしよう。そんな風におもいながら物販コーナーにゆき、図録を購入して会場を出た。
 
 せっかくなので立川駅周辺をぶらぶらしながら、ぼくはふとある歌を思い出した。
 『パフ』という歌を聞いたことがあるひとは多いのではないのだろうか。
 ぼくは音楽全般に疎いけれども、その歌はなにかの折に聞いたことがあった。
 小・中学校のどちらかで、多分の音楽か英語の授業の際に取り上げられたものをぼんやりと憶えていたのかもしれない。
 ピーター・ポール&マリーが歌う、うつくしさとどこか哀愁を感じるその曲には、パフというドラゴンと少年が出て来る。
 哀愁を感じる、と書いたように、確かこの歌はドラゴンと少年との、出会うものの少年が大人になることでやがて別れてしまう、という歌であった。
 ぼくはなぜかエルマーとこの歌とをくっつけてかんがえたくなっていた。それはどちらにも竜と少年とが出てきて、その類似性が自分の中で結びついたからだった。
 記憶とは不思議なものだ。偶然知り得たエルマー展によって、全く忘れていた或るひとつの歌が突然よみがえってくるのだから。そうやって別々のものが脳の中で手を取り合うようにつながってゆく。
 けれども、エルマーでさえうろ覚えであったのに、そんな状態の中でこれまた歌詞のほとんどを失念している曲を、なんだか同じっぽいというひどく曖昧な理由でくっつけるのはさすがにまずい、とぼくは『パフ』の歌詞をちゃんと調べてみた。
 魔法のドラゴン、パフが、ジャッキー・ペーパー少年と出会い、毎日を楽しく過ごしていたものの、少年が大人なるとともにやがてドラゴンの元を去ってゆき、ひとり残ったパフは悲しみに暮れる━━━、ざっとこういった内容であった。
 果たして、エルマーシリーズもこの内容に近いのだろうか。
 ぼくにはそんな疑問が湧いてきていた。
 第一作を見る限りそんな雰囲気はなかった。けれどもそこは少年とりゅうの物語、なにが起こるかわからない。
 気になるあまり、ぼくは気兼ねしてジロジロと見物しなかった原画の代わりに、図録を開いて載っている絵に目を通してみた。
 すると最後の方に、りゅうが涙を浮かべながらエルマーと抱き合っている絵があった。そうしてそこには「こんどこそ、ほんとにおわかれだね。」の一言が。
 ああ・・・と物語を読む前に迂闊にも結末を垣間見てしまったぼくは早々に図録を閉じることにした。そもそもこの図録、表紙にその抱き合うふたりの絵が採用されていた。歌との類似性を探るためとは言え、あの一言さえ読まなければよかったなあ、と後悔も抱いたりした。
 まだ本編を読んではいないので実際のところは不透明であることには変わらないものの、ぼくはいつしかエルマー展を回顧しながらその『パフ』の曲が物語を支えるように流れ出しているのを、その流れるままに任せておくことにしていた。そうか、エルマーもどうやらりゅうと別れてしまうのか・・・。
 人間と竜とはいずれ別れてしまう存在であるらしい。
 それも竜と会えるのは少年時代の間だけで、大人になってしまった者は会うことも叶わない。まるで相反する関係のようにもおもえた。
 竜、という存在がそもそも人間にとっての子ども時代の象徴、むしろそのものであるのかもしれない。
 永遠のいのちとはつまりは成長しないいのちであって、それは成長してゆくとともに手放さなければならないものであるというなら、成長してゆく人間としては別れなければならないのが大袈裟に言うなら運命であるのかもしれなかった。
 ちなみに『パフ』という歌は、その歌詞を元にした絵本も刊行されているらしかった。
 今は絶版していてプレミア価格になっているようだけれども、その絵本では最後の最後、歌詞にはないふたりの再会が描かれており、どうやらハッピーエンドと捉えていいらしい。おいおい、歌詞にない部分を追加していいのか。
 けれども、それが本当ならハッピーエンドだけにホッとする話だった。大人になった人間がドラゴンに会ったっていいじゃなイカ
 なるほど、大人になった人間が唯一竜に会う方法は思い出すこととも言える。
 それはつまり、竜というのは子どもの頃の自分であって、そうして大人になった自分に、子どもの自分がそんなどこか夢みたいな竜の姿となって会いにきてくれているのかもしれない。竜と触れ合えるのは子どものときだけであったとしても、それから後は夢の姿でおもい出して会えるわけだ。
 そうか、竜は子どもの頃の自分なのか、とぼくはそんなあやふやな結論で納得することにした。
 それならこの『エルマーのぼうけん展』は、それ自体が夢としての竜の姿なのかもしれない、とおもった。
 昔に読み聞かせられた本が、その忘れかけていた竜が、記憶をよみがえらせるかのように今回このような形となって大人になったぼくに会いに来てくれた、そういったことのようにぼくには感じられた。同時にそれはまるっきりおとぎ話みたいで苦笑ももれた。
 ぼくは中央線の改札口に向かいながら、今年中にエルマーシリーズを読んでしまおうと計画を立てた。大人になった自分が、子どもの頃夢中になった本を読むには今が頃合いだろう。そうしてひとつは原作そのままの結末を、もうひとつはそれを受けて今度は自分が空想妄想した後日譚を味わおう━━━、そうおもうと、一段とおかしさが込み上げてきた。
 ぼくは、またなぜか勝手につながった『幻のドラゴン』というスピッツの歌を頭の中で流しながら、ドラゴンのように長い東京の電車、中央線に乗って次の目的地へとゆくことにした。