STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

ありのままにを聴いて

 去年の8月から約1年をかけて、ぼくは『夢のクレヨン王国』というアニメを見た。dアニメストアというところで配信が始まっていたのをたまたま見かけてのことだった。
 大雑把に内容を説明すれば、12歳になったシルバー王女が仲間とともに石にされた両親を救うために旅に出る、という話になるだろうか。うん、実に雑な説明だ。
 初めてテレビ放映されたのは1999年。ぼくは9歳だった。
 当時ヤング及川は生意気盛りで、女子向けの作品、それも見た目が幼いのに歳が自分より上の女の子が出てくるそのアニメはなんだか癪に触って興味がなかった。おそらく、自分と同年代くらいの男子が主人公で出てこないとつまらなかったのだろう。数話を途切れ途切れ見ただけで、気づけば最終回を迎えていた、という記憶がぼんやりと残っている。
 
 そのアニメをしっかり見ようとおもうきっかけとなったのは、2015年、テレ玉にて再放送されているのを目撃してからだった。
 その頃ぼくは東京・調布に住んでいた。
 東京は我が岩手県と違い、テレビのチャンネルが豊富だった。リモコンのどの数字を押してもちゃんと番組が出てくる。さらにはサブチャンネルみたいなものまであった。さすが都会と感心したものだ。
 その中のひとつにテレ玉テレビ埼玉のチャンネルがあって、確か平日の6時から7時にかけてアニメの再放送をしていたのだった。
 ぼくはそこで毎回夕食がてらに『名探偵ホームズ』や『七つの海のティコ』を視聴していた。
 そうして毎週水曜日に放送されていたのが『夢のクレヨン王国』だった。
 たまたまテレビをつけた際、途中からやっていたそのアニメを見て、おもわず懐かしさを感じた。あの頃はろくに見なかったな、とか、もう何年前の作品なのかな、とか、そんな気持を抱きながら、ぼくはつい見続けていた。比較的最初の方のお話だった気がする。
 面白い、というよりも、懐かを起こして見ていたので、ひと通りその感傷に似たおもいを味わった後は、もうこれっきりで来週も見るつもりはなかった。
 ただ、本編が終わり、次回予告の後に流れたエンディングで、大袈裟に言うならぼくは釘付けになってしまった。
 そのエンディングは『ありのままに』と言う曲名で、なんと言うか、幼児向けアニメとはおもえないほどすてきで、恥ずかしながらぼくの胸に刺さる良い歌だった。
 そこで流れる映像も、さまざまの花たちが春から冬にかけて映し出されていて、どこか愛おしくなる気持になった。
 なんで今までこんなに良い曲があることを知らなかったのだろう、そうして、なんでこんな良い曲が流れているアニメをおれは当時ちゃんとまともに見なかったのだろう━━━アニメを見終えた後も、ぼくの胸に去来するのはそんな後悔ばかりだった。たった一回、ついさっき聞いただけなのに、ぼくの頭の中はその『ありのままに』の余韻で満ちあふれていて他のことなど手につかなかった。
 もっと昔にこうしておけば、というおもいは、誰だって抱くものだ。
 でもそれは時を経た今だからこそ気づけるものであることも本当だとおもう。
 いっときの後悔が引いたぼくは、今だからこそその曲の良さに気づいたはずだ、と自分に言い聞かせた。良い曲、と感じた理由には、その曲そのものが持っている魅力と同時にきっと時の経過による懐かしさも一役買っているに違いない。当時のハナタレ小僧及川では、たとえまともに視聴していたとしても単なる小気味良い音楽としか感じられなかったかもしれない。
 ともかく、今からちゃんと見て聞いていけばいい。出会いはいつだってベストなタイミングで起こるのだから、自分にとってこの作品との出会いは今がベストだったのだ、ぼくはそうやって今出会えたことを肯定しながら、来週をこころ待ちにすることにした。
 
 そんな風にして、ぼくの水曜日の日課は『夢のクレヨン王国』を見ることになった。仕事が長引いて放送に間に合わない日以外は、時間までに用事を済ませてテレビの前にいるようにしていた。
 正直最初はエンディングを聞くためにアニメを見ていた。本体のお菓子はちっちゃくて、おまけのおもちゃがやたらでかい食玩みたいな感じだ。ぼくにとっては本編がおまけで、最後の1分半の曲が本題だった。
 けれどもそれも、アニメを見続けるうちに自然と作品そのものが魅力的に感じられるようになっていった。
 ぼくの好きな吉田玲子女史が脚本に参加していたこともあるし、今日のアニメではもうかなり消えてしまった、年齢層が低めのまさに子ども向けアニメという作りに、妙にぼくのこころをくすぐるものがあったからかもしれない。
 主人公のシルバー王女には12もの悪いクセがあるのだけれど、それをひとつひとつ直してゆくといったわけでもなく、時にそのクセが良い方に現れる、つまりは魅力のひとつにもなったりして、そういった作りにも共感が持てた。稲上晃氏のキャラクターデザイン、稲上浩子女史のクレヨン画、それに画用紙に書いたみたいな背景も良かった。
 あの頃はゴールデンにも土日の朝にも当たり前にアニメがあったなあ、という感慨も浮かんできては、作品を好きになる後おしとなった。ときどき説教じみた古臭さを感じることはあっても、それも教育的なアニメだからこそ、と許容の範囲だった。
 それにオープニングも明るく元気な曲で、それがすなおに聞いていて楽しかった。忘れていたものを徐々におもい出してゆく、そんな快さもあったかもしれない。
 ただやっぱり、『ありのままに』の読後感とでもいうのか、その余韻はいつもぼくの胸に心地良かった。
 印象に残っているは、ひまわり畑がぐーんと画面いっぱいに姿を現すシーン。
 ぼくは群生するそのひまわりに、植物が内に持つ静謐ではあるものの力強い生命力を感じた。見ているのが夏である頃は、アニメを見終えた後、なんということもなくベランダに出ては夏の日差しの降り注ぐ風景を眺めて、その熱を帯びた光景とアニメのひまわり畑を重ねエンディングの余韻を味わったものだ。そうやって佇んでいるだけで、太陽の茜色が他の曜日よりもよっぽど輝かしいものにおもえ、なんだか町全体がいつもより清々しいものに見えてくるのだった。
 アニメのときだけ聞くのは物足りない、と気づけばぼくはその曲のC Dを探しにあちこちお店に足を運んでいた。そうして8インチのシングル盤やアルバムを手に入れては、オープニング、エンディング以外のすてきな劇中曲にも聞き入ったのだった。
 
 そんな毎週楽しみにしてたアニメも、ぼくが2016年に実家に帰るのを機にご無沙汰になってしまっていた。
 調べてみると、DVDはプレミア価格。配信しているサイトもあったものの、ケチケチしている間に忘れていった。
 それがdアニメストアで配信スタートしているのを知ったときはびっくりしたし、嬉しかったものだ。こちらのサービスは前から加入していたのでわざわざ契約する手間を省けた。
 どうやらアニメが25周年ということで加えられたものらしい。
 もうそれだけの年月が経っているのか、とその四半世紀分の数字にしみじみしながら、ぼくはようやく『夢のクレヨン王国』を1話からまともに見始めることができた。それも足早に見るのではなく、ゆっくり、じっくり、時間をかけることを試みながら1話1話を見ていった。
 そうして冒頭にも書いたように、全70話を約一年かけて最終回まで見届けたのだった。・・・

 ぼくは今、こうしてアニメを全話見た感想を随筆に残すことによって、自分の抱いた後悔のしこり、リアルタイムに見ようとしなかったことや途中でテレビ視聴を切り上げたことなどを帳消しにしたいのかもしれない。少なくとも文章を書く理由、というか根底には、そういった過去の自分への、許しというのか救いというのか、そんな願望が込められているのじゃないだろうか。いや、単なる言い訳でしかないかもしれない。
 それはともかく、やっぱり全話を通しておもったことは、毎回エンディングに快さを感じたことであった。
 アニメの原作となった福永令三氏の書いた作詞、そうしてそれを歌う杉山加奈女史の歌声、さらにはコーラスで入る子どもたちの声、それらがどんな話の回であっても流れては、一種の安心感みたいなあたたかさとやさしさとを与えてくれた。良い歌だし、良い作品なのだ。
 
 先にも述べたように、この作品は全70話。
 今の時代にあっては長すぎると受け取るひとが多いかもしれないし、25年も前なので作画的にも敬遠するひとが当たり前かもしれない。
 それでもぼくにとっては、折に触れて身返しておきたい、そんな作品になっている。特に『ありのままに』は、日差しの強い夏の夕方などに聞いていると、今はもう過ぎ去った、夢中になってこのアニメを見ていた東京時代を、ひどく懐かしい快いものとしてよみがえらせてくれるそんな曲になっている。