STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

海がきこえた日

 渋谷、春、34歳。
 ぼくとジブリのモノローグ。
 
 『海がきこえる』が渋谷で上映されていることを知ったのは、4月上旬、東京に出かけた1週間後くらいだったろうか。わかった時にはタイミングの悪さに随分落胆したものだった。
 
 その年(令和6年)の春、ぼくはとある個展を見るために東京に向かった。
 2月にも一度行っていたから約1ヶ月半ぶりだった。我ながら短いスパンだなあと呆れつつ東京駅に着いた。相変わらずの人だかりだ。
 そこから個展が行われている近くの駅までゆき、荷物をコインロッカーに入れた後しばらくぶらぶら散歩した。手ぶらっていうのはやっぱりいいものだ。こういったお金の使い方も悪くない。むしろ旅が快適になる。
 東京は気温が高く、上着を羽織っていても歩いていたら暑くなるくらいだった。でも寒いよりはずっといい。
 ぼくは午後から個展をじっくりと見てまわり、そこからお馴染み京王線に乗って飛田給まで向かった。
 本命は調布のホテルだったけど、予約を取ろうとしたらもう遅かった。でも飛田給も静かでよかった。近くにワークマンがあったのでついつい足を運んでしまった。コンビニで夕食を買った。
 一泊してから、今度は古巣みたいな高田馬場、早稲田へと足を伸ばした。
 この時も一旦新宿駅に荷物を預けてから気ままに散策した。
 自分が当時暮らしていた景観はこんなものだっただろうか、とそんなことをかんがえながら、時に懐かしさにしみじみしつつ神楽坂まで歩いた。飯田橋駅近くのそば屋で昼食にした。桜が満開で、晴れ間があって、東京はきれいだった。
 だいたいそんな感じの、まあ旅行というには大袈裟な、やけに交通費のかかる散歩みたいなものだった。
 その旅の後、なにを探そうとしたのかはすっかり忘れてしまったけれども、ぼくはメルカリ内を物色していた。
 そこでおすすめに気になるものが出てきた。
 それはチラシやフライヤーと呼ばれている、宣伝のための紙だった。その作品が『海がきこえる』だったのだ。
 ぼくは以前にも『海がきこえる』のチラシの出品を見たことがあった。
 テレビスペシャルとして放送されたその作品は、その後どこかの劇場で公開されていた。その際のものだった。
 当然のように高値だったし、現地に行けばタダでもらえるものにお金を出すのもなあ(まあもう当時には戻れないし、現地に行く費用を鑑みれば安いくらいだけど)とぼくはうっちゃっていたけれども、気になっているものではあった。それがまた、たまたま表示されたのだ。これがメルカリのやり方か。
 ただ、そのフライヤーは以前見たものと違っていた。真新しいというか、どこか別の劇場でやっていたものみたいだった。
 興味がわいて商品をクリックしてみたら、なんとそれはつい最近上映されていたフライヤーだった。おもわず息を呑んだ。
 どうやら渋谷で、3月15日から限定上映でやっていたらしかった。
 チラシの画像を何度も見返しながら、ぼくは自分に対しても周りに対しても、怒りも含んだ悔しさが込み上げてきた。なぜもっと早くに気づけなかったのだろう。ネットニュースもなんでこれを教えなかったんだ。これを知っていれば、むしろ個展よりも優先して観に行ったのに。こんなことに備えるために毎回ジブリにアンテナ張ってろってのか。そんな暇ねえぞ。
 これが現代の情報の格差なのか、東京と僻地のクソみたいな違いか、ともはやなにかを呪いたくなる心境になっていたぼくは、諦めがつかずにともかくも劇場のサイトを調べてみた。調べたからどうこうなるものでもないが、こういうとき人間というものは少しだけでもそのイベントに繋がろうとするものだ。
 そしたらなんと、作品はまだ上映中だった。
 3月15日から、当初は1週間限定での上映予定だったそうだけど、4月25日まで延長して上映していた。
 4月ならおれも東京にいたよ!
 ぼくは再度落胆してため息ばかりを吐いていた。今度は自分を呪っていた。なぜもっと早くに気づけなかったのか。東京に行く前に知ってたら、2日目にでも行けたはずだ。なにが早稲田だ神楽坂だ。そんないつでも思い出という感傷に浸れる観光よりも作品を見たかった。
 期日までは、まだ10日ほどは残っていた。
 しかし、行くなら日帰りだし、そもそも月に2度東京に行くなんて、そんな経済的余裕は持ち合わせていなかった。そりゃあ、絶対に行けないことはないが、そのお金は他の別のことに使った方がいいに決まっている。おもわぬ出費で自分を苦しめるなんてやめた方がいい。往復約3万円、約6時間半をかけて、90分にも満たない作品を観に行けるのか。
 まあ、こういった経験は人生でいくらでも味わってきた。世間でよく口にする運命のイタズラというやつだ。
 今回もまたそのお役目がぼくに回ってきたらしかった。全く、宝くじはいくら買っても当たらないのに、こういったイタズラにはよく遭う。
 なんだかんだ、東京旅行は楽しかったし、そもそも田舎にいる人間なんだから東京のイベントに出られないのは当たり前なのだ。
 それにこの『海がきこえる』は本来テレビスペシャルで放映されたものであり、劇場作品ではない。そう、映画館で観るのは別に本来のスタイルじゃない。
 ぼくはこうやって徐々に自分を納得させながら、抱いた虚しさややるせなさを鎮めていった。今やテレビ放送の可能性がほぼない『海がきこえる』が、それでも映画館で上映されたのだ。その事実だけでも喜んでいようとおもった。そう、上映されたことに意味があるのだ。
 こうしてぼくは『海がきこえる』を、波が時間をかけて引いてゆくみたいにゆっくりと忘れていった。
 はずだった。
 上映されていることを知った日、というかその場所は茶の間で、両親もいた。
 ぼくがなんだかアホみたいに落ち込んでいるので、気色悪がったオカンがどうしたんだと聞いてきた。
 ぼくはこれこれこういう理由と説明した。人にグチるのもまた、こころを洗ういい手段だ。
 そしたらオカンが、行くんだったらこの日しかないよねえ、とカレンダーを見ながらぽそりとつぶやいた。
 悪魔のささやき、である。
 実はうちの両親はつい先だって、とある用事のためチョーがつくほど久々に東京に行ってきていた。オカンに至っては正月と、2月に2回、都合3回も上京していた。というかそのオカンにつられて父も一度ついていった。
 そんなことがあったからか、今度東京に行くならどこそこに行ってみたい、と父が結構乗り気になっていて、ちょいちょい東京事情を調べていた。久々の東京は、なかなか慌ただしく移動するだけで終わってしまったらしく、その反動から来ているのかもしれない。
 そこでぼくはふと父に、東京一緒に行くか、と尋ねてみた。
 父の反応は満更でもなかった。国立競技場が見てみたい、と漏らした。
 父は去年、30年近く営んできた酪農をやめ、今は気ままに暮らしていた。
 酪農、つまり牛の世話をしていたのだから、極端な話、365日働き通しだった。この30年間の人並みな休日なんて、両手で数えても指が余るかもしれない。
 ぼくはそんな父と、それからオカンを連れて労いがてらどこか遠出でもしよう、とささやかな親孝行を頭の片隅に浮かべたこともあった。
 ──それをここで実現させてもいいんじゃなイカ
 そう、これはホンカク的な親孝行の前の、試験的な旅行だ。うん、そうだ。これは親の為なのだ。親が相手なら仕方ない。
 まるで大義名分を得たかのようなぼくは、親孝行を理由に、親が乗る気になっているんだからじゃあしょうがないよね、と自分の懐事情を納得させた。まあ、金銭の調整は来月の自分に丸投げしよう。
 そんな感じで、息を吹き返したぼくは早速東京行きの新幹線を、3列シートの空きを確認しながら調べ出していた。
 海がきこえ始めていた。
 
 4月23日。
 ぼくら3人は東京行きの新幹線に乗った。
 目指すはもちろん、東京だった。
 ここまで来といて、ぼくはなかなか実感が湧かなかった。
 まさか本当に両親を伴って東京に行く日が来るなんて、正直想像できなかった。なんというか、フシギな感覚だった。高速バスで2時間ちょいの仙台には数回両親と出かけているものの、それと今回とではまるで感じ方が違っていた。
 ともかく、ぼくらは席に着くとコンビニで買っておいたおにぎりで朝食をとることにした。
 すると父が早々に、トイレに行くと言ってデッキに歩いていった。
 オカンはなんで乗る前に済ませなかったのか疑問におもっていたけど、その理由は父が戻ってくるまでの時間でわかった。大だった。ぼくらは発車の3分前くらいにホームに行ったものだから、なるほど、そりゃ社内のトイレを使うわけだ。親父よ、時間配分を間違えてスマン。
 仕切り直して、ぼくらは朝ごはんを食べた。
 途中仙台で乗り換えた。この先はもう終点まで大宮に停まるだけだ。
 天気はあいにくの曇りで、雨マークもあったものの今のところは持ちこたえていた。
 できればこのままでもってほしいとおもいながらぼくは車内で一休みした。
 きょう、おれは『海がきこえる』を観に行くのかあ、とそっちもまだ実感がわかなかった。
 
 スタジオジブリ制作の『海がきこえる』は、1993年5月にテレビスペシャルとして放映された。
 この作品は当時の若手社員だけで作り上げたもので、宮崎駿(ここでは「﨑」ではなく「崎」で表記する)高畑勲が関わっていないものとしては、おそらくジブリで最初のアニメだった。
 ぼくが初めて『海がきこえる』を見たのは、高校2年の頃、おそらく5月あたりであったとおもう。
 ぼくは高校に入ってからようやっと金曜ロードショーで放映されるジブリ作品を見るようになっていた。それまではラピュタくらいしか見なかったし、なぜかそれで充分だった。
 高校近くの図書館には視聴スペースがあって、そこにビデオやDVD、さらにはLDが置いてあった。
 ぼくはそこでLDを用いて『海がきこえる』を見た。
 なんと言ってもタイトルが目を引いた。
 目を引くと言っても、過激でド派手なタイトルではなく、ただちょっとことばを組み替えたようなそのタイトルは、爽やかで、それでいてなんだかしっとりしていて、ぼくに興味をかき立てた。早速図書館で借りて見た。
 どこか淡白な色使いとともに流れてくる音楽は「海がきこえる」ということばの響きをそのまま表現しているかのようで、そうして心地よかった。要所々々で入る主人公、杜崎拓の語り口も伸びやかさがあり、波が静かに寄せては返すようなそんな作品を、ぼくは終始穏やかなおもいで見ていた。
 エンディングで流れる近藤勝也さんのイラストを見ていたら原作も読みたくなり、図書館に購入の申し込みをしたのはいい思い出だ。ぼくが図書館側にリクエストした最初の本であったかもしれない。もう今では閉架書庫に移っているだろう。
 原作も、タイトルをそのまま文章にしたかのようなあっさりとした文体で、それが快くて、ぼくはいつの間にか、自分が一人称を書くならこういう風にしたい、とそう感じるほど親しみを覚えていた。
 それ以来、ぼくはことあるごとにこの作品を見返したり、思い出したり、要は他とは違う存在になっていった。おそらく手に取った小説の中は、短編を除けば一番読み返している。
 なにか劇的なことが起こる、といったこともなく、淡々と日常が繋がってゆくことや、チクリとくる青春の痛み、みたいなものが気に入ったからだろうか。
 ジブリの隠れた名作、とよく紹介されている文を見ることがあるけれども、確かに知名度ジブリの中でかなり低い。
 テレビのみでの放映であったし、ジブリからのグッズもこれといってない。金曜ロードショーにも一回しか流れておらず、国内でジブリの配信はないからすっかり円盤でのみ触れられる作品と化していた。
 その作品が現在劇場で公開されているのだ。
 これは、とても嬉しいことだった。今でもちゃんと、この作品を好きな人がいて、そうして劇場での上映という自分がどこかで淡く抱いていた期待を形にしてくれたのだから、ありがたかった。
 その形になったところに、今自分も触れようとしている。
 それが余計に嬉しかった。
 こうやって自分が作品に出会った頃を思い返していると、これから劇場に観に行くことに段々と実感も湧いてきた。
 なんだかんだ落ち込んだり悩んだりしたものの、ぼくはこういった機会に恵まれたことを感謝した。
 
 東京駅に降り立った及川家一行は、父の希望通り国立競技場へと向かった。
 と言っても、場内への立ち入りは叶わず、ぼくらはぐるり一周しながらその外観を目に収めるだけだった。父は、多少がっかりしていた。まあ、次があるさ。
 父はがっかりしていたものの、それでもことあるごとにカメラを向けていて傍目にも楽しそうだった。オカンは沿道のつつじを撮っていた。
 そのあとは新宿のヨドバシで父のカメラ用品を買い、悩んだ末、ぼくは都庁の展望台にふたりを連れていった。
 行きのエレベーターは空いていた。すぐに上に登った。
 空模様は期待通りではなかったものの、眺めは良かった。父も母も満足したような様子は、息子としても、まあ、悪いものではない。ふたりとも働き詰めの人生を送ってきたのだから、これからはこうやって暇を見つけて観光を楽しんでくれればいい。
 ぼくらはしばし展望台で時間を過ごしたあと、再び新宿駅にもどった。
 書店の場所を教え、飲食店を案内し、そうしてふたりと別れた。ふたりはご飯へ、ぼくは渋谷へ。
 いよいよここからは本日の目的、『海がきこえる』の観賞だった。
 
 お昼をとりながらの移動だったので、渋谷駅に着いたときにはすでに開場10分前くらいだったとおもう。
 もはや迷路と化した構内を、案内板をたよりに進んでいった。
 あっちか、こっちか、と散々地図を確認したのち、ようやっと上映場所にたどり着くことができた。正直、時間ギリギリだった。渋谷を迷わずに歩ける日本人はホントにすごいとおもう。これも慣れだろうか。
 エレベーターで数人とともに上に向かった。どうやらみんな、ぼくと同じようだ。
 到着したところはBunkamuraル・シネマ というところだった。ただ、現在移転営業中とのことで詳しいことまでわからないけど、ともかく、そこには劇場があった。
 と同時に、あのメルカリで発見したフライヤーも置いてあった。
 余白をふんだんに、それも効果的につかったもので、映画画面サイズの静止画がその余白に挟まれている。使用されている画像は、主人公が最後にヒロインと対峙したときの、あの印象的な場面だ。
 下の余白には、淡くくすんだ青色でタイトルの『海がきこえる』が書かれてある。とてもシンプルで、そうして、うつくしい。それこそ、この作品の雰囲気を如実に表した、センスの光る構成だった。
 これを見るだけでも、ぼくの気持はたかぶっていった。それなのに不思議なもので、おだやかな心地にもなっていた。矛盾する方向性を持った気分がうまい具合に内在しているのは、多分この作品の持つやわらかさがそうさせているのだろう。
 ああ、ここまでやってきたんだなあ、とぼくは今ここにいる実感にひたすら意識を向けていた。
 数時間後には忘れているにちがいないけど、このときだけは、ここにいることだけに気持をつかいたかった。それはとても幸せなことだった。この機会に恵まれたことは本当によかった。
 ぼくは受付でチケットを見せてから場内に入った。
 そうして、思い入れのある『海がきこえる』を観た。
 海がきこえたひとときだった。
 
 
 懐かしい人に再開できた気分だった。
 ぼくは映画を観終わったあと、終始しみじみしながら劇場を後にした。もちろん、フライヤーをカバンに収めた。
 山手線で新宿にゆき、両親と待ち合わせ場所にしていた新宿の目へと向かった。両親はすでに用を済ませて待っていた。
 喫茶店で軽く休憩を挟み、両親と他愛もない雑談をしていると、徐々に映画の感動も引いていって、ぼくはまたふつうの東京旅行の気分にもどっていた。そうか、きょうは両親を連れての初めての上京だった。そんな風に今更ながら気づいた。
 そろそろ東京駅に向かう時間になったので、ぼくらは席を立った。
 ぼくはトイレに行った。
 洗面台に立ったぼくは、ふと目の前に映った自分の顔をまじまじとみた。うん、ブサイクだ。
 初めて『海がきこえる』に出会った高校生の頃、勢いに任せて高知を含めた四国をぐるり一周した25歳の頃──、きょう観た作品に触発されてその頃を懐かしんでいる自分も、気がつけばすっかりおっさんの表情をしていた。我ながら、老けたなあ、と感じた。おそらく東京で暮らしている同年代の方がもっと若々しい表情をしているのじゃないだろうか。いや、そこは元の素質も大いに関係しているにちがいない。きっとにぎやかな土地の方が若々しくいられるだろう。
 両親とともに東京の地を歩きながら、ふたりとも老けたよな、と幾ばくかの感慨にふけっていた自分もまた、同じように歳をとっていたわけだ。そうしてぼくはそこに、大袈裟だけど随分な時の流れを感じていた。両親と東京に遊びに行くなんて10代20代ではかんがえもしなかったことをしていることが、そんな心境にさせたのだろう。
 『海がきこえる』は初放映からもう30年以上、ぼくが初めて見たときからも18年経っている、言わば懐かしい作品だけど、その懐かしさは単に年数の重なりだけではなく、作品に出てくる主人公たちの年齢からもう大分自分も過ぎ去ってしまっていることの、なんというか寂しさも加味されていた。これから歳をとるごとに、ますますかれらとは年齢がかけ離れてゆく。けれども、あたたかな気分に満たされていた。
 おれは老けた、とぼくは肯定気味に自分の顔を見ていた。それから、東京駅で姪っ子たちへのお土産を買うために両親を先導しながら新宿駅の改札を目指して歩いていった。東京はやっぱり、波のように人が動いている。