STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

桜が散って

桜が花を咲かせると、ついついそちらにばかり目がいってしまうものだ。 そうやってすっかり春を桜に任せているうちに、あちこちで新芽が萌え出ていたことに桜が散ってみすぼらしい木になってからようやく気づく。 冬の間、通勤途中をなんとはなしに通ってい…

春のエンドロール

ぼくは作家・堀辰雄の影響もあってか、白い花、特にこぶしの花が咲いているとついつい目がいくようになってしまった。 今はようやく我が家でも桜が咲いた。ソメイヨシノとは違い、濃いピンク色が鮮やかに花開いている。枝いっぱいに花がついているわけではな…

春の序

ちらほらと桜の開花宣言を聞くようになり、東京ではすでにお花見をする人々で賑わっている様子がテレビで流れていた。 ぼくの地元ではまだ桜の花はつぼみのままだけれども、梅の花はあちこちで咲いており、中には枝いっぱいに咲き誇っているものもあった。通…

彼岸前に

ぼくは時々亡くなった祖父のことを思い出す。懐かしむ、というよりは、ああそういえばこんなこともあったか、と大抵の場合は浮かんできた記憶をただ眺めるような具合に。 それは実際に自分がじいさんと接していた記憶だけじゃなくて、人から聞いた話も思い返…

本人の代わり

ぼくには20年以上の付き合いになるミュウ(ポケモン)のぬいぐるみがある。 おおよそのことはすっかり忘れてしまったけれども、ぼくが小2の97年にアニメの放送が始まり、そのタイミングで買ってもらったものだとおもう。少なくとも小4のときにはもう持…

黄色い糸

母が知人から大量の服をもらった際、そこに一着の黄色いエプロンが入っていて、せっかくだから、とそれを譲り受けたことがあった。 それ以来、食器を洗うときはそのエプロンに袖を通していた。 不思議なもので、ただの私服で洗うよりもエプロン一枚着るだけ…

春のひととき

暦の上では春になった。 といっても、肌感覚ではまだ全然春は遠い。特に東北の山村なぞはこの2月が一番寒いくらいだ。冬至を過ぎてから日の入りは遅くなり、だんだんと明るくはなってきたものの、それでも季節は、新年で気分だけでも和らいだかのような気の…

見えないものを文学する

いろいろを本をあさっているうちに、佐々木茂美著『「見えないもの」を科学する』という本に出会った。1998年の4月に発行となっている。もう立派な古本だ。 そこには、未だ科学的に認められていない、或いは認めにくい「気」についてあれこれ書かれてい…

レシート1枚分の文学

何かの拍子に、うちのオカンが一枚のレシートを見つけてきた。 どこかの引き出しからだったか、普段使っていなかったカバンの中からだったか忘れたけれども、とにかくオカンが、変なレシートが出てきた、と騒いでいた。 どうせ大したものじゃないだろ、と白…

幼い日の記憶

鶴の舞橋という日本一長い木造の橋を見てみたくなって、ぼくは青森に旅に行ったことがあった。 岩手からまずは新青森駅まで新幹線に乗り、そこからは在来線の奥羽本線に乗り換えた。川部駅でまた五能線に乗り換えた。 ぼくが降り立ったのは陸奥鶴田という駅…

年の瀬雑記

12月21日。 仕事の休みを利用して、郵便局へ荷物を出しに行ってきた。不要となった私物を段ボールに詰めて、買取をお願いしたわけだ。次回東京に行くための旅費の足しになれば、と願った。査定結果がわかるのは来年になるかもしれない。 その際父にも用…

ベートーヴェン、気絶

年末に合わせるわけではないけれど、この間盛岡の肴町を歩いていたとき、通りに出ていたワゴンの中にベートーヴェンの第九に関する本を見つけたのでおもわず買った。寒気身にしみる中、歓喜の季節になったというわけだ。 今年の年末は片手間にこれを読みなが…

人道橋

2023年は、ぼくにとって太宰治にゆかりのある年となった。 10月には、生家のある青森県は五所川原市に赴き、長年の憧れであった斜陽館を見てきた。一時は旅館としても使われていたとあって、その贅沢な間取りに見惚れたものだ。本でしか知らない作家に…

悪夢の在り方

今年夏のジブリ映画『君たちはどう生きるか』については、さまざまのひとが、賛否両論、思い思いの考察を語っていた。 ぼくの友人たちが出した結論としては、絵コンテ段階でやめておいた方がよかった、というものだった。その際の例えが面白かった。 話の内…

ナナチが来た日

ナナチが来た。 『メイドインアビス』という作品がある。WEBコミックガンマというところで連載されている漫画で、2度アニメ化されている。劇場版も公開された。 内容は他に譲るとして、その中にナナチというキャラクターが出てくる。ウサギみたいな見た目の…

或る日

ぼくの家ではじいさんの代から付き合いのある車屋さんがいる。車検やらオイル交換やら、何かあればそちらに頼んでいる。 今度ぼくの住んでいる地域にも雪マークが出始めたので、そろそろだな、とその車屋さんにタイヤ交換に行ってきた。雪国なら必須の恒例行…

猫のこと

明朝、飼い猫が死んだ。 母が夜中過ぎに苦しそうに鳴く猫の声を聞いていたという。そうして父が起きて来たとき動かなくなっているのを発見した。まだ体は柔らかかった。朝のうちに庭へ埋葬した。 ぼくとの付き合いは8年ほどだっただろうか。 ぼくが実家に戻…

バナナジュース

ミキサーを新調すると、なぜかバナナジュースが作りたくなるものだ。 いつだったか、近所でとあるお店が閉店することになった。 例にもれず閉店セールが行われた。 段階的に割引分が増えてゆき、最終日はなんと9割引き。そこまでくるともうドン引きというか…

盛岡小散歩

9月下旬、父の送り迎えで盛岡に行って、用事が終わるまでぶらぶら歩いていたとき、ぼくはちょっとしたこころ惹かれるものを見つけた。 その日は朝寒かった。 それでも盛岡に着く頃にはある程度暖かくなっていて、半袖で歩いているひともちらほら見かけた。 …

ありのままにを聴いて

去年の8月から約1年をかけて、ぼくは『夢のクレヨン王国』というアニメを見た。dアニメストアというところで配信が始まっていたのをたまたま見かけてのことだった。 大雑把に内容を説明すれば、12歳になったシルバー王女が仲間とともに石にされた両親を…

パフとエルマー

8月。 横浜へ旅をしてから、東京に行って、夜は友人と再会した。その際プレゼントをいただいた。 宿に戻ってから中を開けてみると、ハンカチとバッチが入っていた。どちらも見覚えのある作品、『エルマーのぼうけん』のものだった。 早速友人にお礼のメール…

10年前、10年後

1 聞こえが良くなるように言うなら、10年前の忘れ物をとりに行ってきた、というような表現になるのだろうか。むしろ本音に即して言うのなら、10年前の借りを返したい、果たせなかったおもいを今度こそは晴らしたい・・・、そんな風に、拭い切れない未練…

精一杯の文学

セミは幼虫の姿で6年間土の中にいて、地上に出てきて成虫になれば1週間のいのちしかない、というのは、小学校低学年の頃にはすでにどこからともなく聞いていて知っていた気がする。そのあまりの短さに、有り体に言うなら可哀想だという気持やいのちの尊さ…

夏を録る

当初の予定では、寺田倉庫で開催されている『金曜ロードショーとジブリ展』に行く気で、ぼくは8月に偶然取れた連休を利用しようとしていた。 しかしジブリというやつはカンタンにはいかないものだ。 ぼくは当日券があるものだと当然のようにおもっていた。 …

いのちを見つめた五日間

いのちを見つめた五日間、と銘打つと、なんだかとても大層で壮大で重みと深みのある内容を想起するかもしれない。しかしなんのことはない、コロナにかかってゲーゲー休んでいたというオチだ。 先だって、ぼくはコロナになった。 勤め先でひとりが発症し、ひ…

公衆電話と文学

我が家の固定電話にはどこからかかってきたのかを知らせてくれる機能がある。 機器自体の機能というよりサービスなのか、とにかく登録しているひとの名前だったりどこの都道府県からだったりを出る前に教えてくれる。 その中のひとつに公衆電話も含まれてい…

博物館

7月下旬、母のつきそいで、父といっしょに盛岡へ出かけた。 やってきたのは、ふれあいランド岩手というフレンドリー感溢れるネーミングの運動施設であった。10時前に着いた。 天気はすこぶるよくて、駐車場に停めてある車はそれだけでなんだか暑そうだっ…

初夏の盛岡

1 令和5年5月11日、ぼくは仕事の休みを利用して、盛岡へ日帰り観光をしてきた。 きっかけは一本のCMだった。 確か3月末か4月始めのことだったとおもう。 今度岩手県で『鈴木敏夫とジブリ展』をやるというそのCMを見て、盛岡だったら行けるか、と…

出会いと奇跡の九日間

スタジオジブリの映画『耳をすませば』が28年ぶりに上映される知らせを受けたのは、ちょうどその映画が上映される調布でのことだった。 『耳をすませば』が上映される━━━あの『耳をすませば』が、生きているうちに映画館で観られるなんて────その話を聞い…

リスタート ━━実験劇場として━━

2020年から約3年ほど、ぼくはこの場を借りてエッセイなり小説なり、また詩を書いては投稿を繰り返してきた。 3年もあれば、それなりに記事も溜まった。アクセスのある日もあった。縦書きの書式に憧れて、小説や詩は縦にしたり、そんなこともやった。 …