STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

博物館

  7月下旬、母のつきそいで、父といっしょに盛岡へ出かけた。
 やってきたのは、ふれあいランド岩手というフレンドリー感溢れるネーミングの運動施設であった。10時前に着いた。
 天気はすこぶるよくて、駐車場に停めてある車はそれだけでなんだか暑そうだった。
 母の用事は午後3時までかかるという。
 それまでどこで時間をつぶすかを父と相談して、博物館に行くことにした。どうやら父に見たいものがあるらしい。
 ぼくらはまず腹ごしらえみたいに近場に建っていたセカンドストリートに寄り道をしてから行くことにした。
 盛岡くんだりまできて、やはりそこは気になった。こういうときは、いつも行かない店であればこそなにか掘り出し物でもあるんじゃなイカ、と勝手に期待するものだ。
 掘り出し物はなかったものの、父とぼくは多少の買い物をしてお店を出た。
 博物館へは20分も走っただろうか。
 途中ブックオフが目に止まったので入ろうかと頭をよぎったけれども、さすがに父を待たせるのも悪いと通り過ぎた。ああ、こういうときに限って掘り出し物があったりするのだが・・・。
 それはともかく、ぼくらは目的の岩手県立博物館へとやってきた。
 それは小高い丘の上にあった。木々に囲まれたブラウンカラーの四面体は、道中目にしていた民家がぱたりとなくなったこともあってか、急に静けさを増してたたずんでいるように感じられた。異様な感じ、と言ってしまうと語弊があるものの、まさにポツン、と建っている光景であった。異国な雰囲気、とでも言えばいいか。
 或いは、ジリジリ押しつけるかのような夏の強い日差しが、遠近感もなくあちこちから聞こえてくるセミの鳴き声や葉のざわめきを際立たせて、ぼくの感覚になにか錯覚でも起こした所為なのかもしれない。
 そんな閑静な佇まいに呼吸を合わせるかのように、館内も音を吸収しているみたいにひっそりとしていた。
 自然ひんやりとした感触を肌で感じた。もちろん館内は空調が効いているし、外との温度差が大きかったために余計にそう感じるに違いない。
 ただ、そういった事実よりも、ぼくは単純に聴覚でとらえたこの静けさが館内の空気を冷たいものに変えている気がしているのだった。
 ひと気の少なさも影響しているようだった。
 こころなしか、足音がいつも以上に響いている気もして、それが一段とぼくに静けさと涼やかさをもたらした。いや別にこの施設が繁盛しとらんとケチつけるわけではなく、むしろ見学するにはとても心地よい環境だった。
 ぼくらはとりあえず2階に上がった。
 踊り場というのか、「へ」の字気味に曲がった階段の途中に恐竜の化石のレプリカが展示されてあった。
 名前は忘れたけれども、首の長い奴である。この数ある骨のうち一体本物の骨もひとつくらいはあるのだろうか、とつい水を差すようなことをかんがえながら、ぼくはなぜかゲームのキャラクター、ヨッシーをおもい起こした。大きさに違いはあれど、いつか秋葉原にでもヨッシーの標本ができるとしたらこんな感じだろうか。
 階段をのぼりきると右側に係員の方がいて、どうぞとうながされたのでぼくらは自然そちらに向かった。
 そこは総合展示室の入り口だった。
 足を運ぶと、どうやら古生物たちの化石から始まっていた。
 ここにはちゃんと本物の石たちが展示されており、ぼくが知るよしもない当時の地球の姿を、その化石たちに凝縮して紹介していた。
 ぼくはガラスケースに安置されたアンチ・現代たちのそれらのひとつひとつ、もうこの世界ではどこにも見当たらないいのちの足跡に目を通していった。
 今見える星の光が、実は何万年、何億年という遥か昔の輝きであり、そんな何億光年も先の向こうからこうして現代へと降り注いでいるのと同じように、そこにいるかれらもまた、遠い時代から今目の前で当時のことなどなにも知らずに見つめいている見学者たちを照らしているのかもしれない。化石は無数の星座であり、発見者たちが名前をつけることによって物語を紡いでゆく。・・・
 石として形成されたそんないのちをながめながら、ぼくはそんなことにおもいを馳せた。ガラスケースで見つめる者から仕切られた古生物たちは、あたたかさとは違ういのちを石に刻んでいるみたいだった。いのちとは実に静謐なものであるのだ。
 化石とはかんがえればかんがえるほど不思議な生物だった。
 恐竜の骨であればともかく、石に体の形を刻んだその化石は、言わば本体ではなかった。本体ではなくその跡が、本体に代わっていくばくかでもなにかを伝えている。たとえ本体が空っぽであったとしてもなにかは伝わってゆくのかもしれない。
 化石とは別に、鉱石というものもある。
 化石が生命の跡を留めているのであれば、鉱石ももしかしたら元は生物であった可能性はないのだろうか。オパールやエメラルドはその昔赤い血の流れていた生命体であり、ダイアモンドなぞは地中深く圧力をかけてもびくともしない、それこそ水圧の強い深海で平気で生きているいのちのように地中で暮らしていた生物の名残であるのかもしれない。そもそも、生命に赤い血が流れている前提を持ち出す必要もない、世の中には酸素さえ必要とせずに生きているものだっているのだから、鉱石たちは高エネルギーの結晶であり、そのエネルギーもまたひととは違ういのちと表現したっていい・・・、ぼくはそんな想像を勝手に展開していた。
 ぼくは生命の先祖である古生物たちを見ながら、ふと姪がいつぞや口にしていた泡の化石ということばが浮かんできていた。それは子どもがふとしたときになんの気なしに口走る他愛のないおもいつきだった。
 琥珀が、昆虫もろとも当時の空気を樹液の中に閉じ込めてしまえるように、どこかに泡を刻んだ化石もあるのじゃないだろうか。どこかに泡の化石を見学できる施設があったらいってみたいものだった。
 ことばと化石と、どちらの方がより後世にまで遠く残り続けるのだろう。そんな他愛ないこともかんがえていた。今のところは断然化石に軍配が上がるようにおもえた。地球規模で考察すれば、ことばの歴史などまだまだ浅いに違いない。
 そんな風に考察しながら、ぼくは化石を眺めていた。
 ぼくらは古生物の展示物に別れを告げると次へ向かった。
 いきなり縄文人を模した精巧な蝋人形たちが竪穴住居の中にいたので一瞬身がすくんだ。ホラー映画か。お化け屋敷より怖かった。
 ここからは人間の暮らしが続いていくようだった。
 ぼくらは道順通りに展示物を見て回った。
 妙なもので、古生物を過ぎてしまうとどこか館内も静けさが影をひそめ、ひとつひとつを丁寧に観察する父を横目に、ぼくはすうっと興味が抜けたままとことこその後をついていくだけだった。
 展示物から生活感のあるざわめきを感じるとでもいうか、それはそれで魅力的なのだけれども、今だけは他の展示物からの影響をほどほどにしたまま、古生物たちから得た、祈りにも似た静謐な印象を味わっておきたかった。静かな博物館内で会った、静かな展示物になにかおもい入れができたのかもしれない。
 ぼくらはそのあとぐるり館内を見て、父が見たかった植物学者の手紙の展示コーナーを探した。
 一階、というのか半地下というようなところにあった。
 ちょうど現在朝ドラでやってる主人公のモデルとなったひと(富太郎だったっけ)が、岩手在住のひとに向けた書簡が一般公開されていて、朝ドラ好きの親父としては時事ネタだけに見てみたかったのだという。
 父は満足した表情を浮かべていた。それなら、来てよかったわけだ。
 こうやってどんなものにも感じ入ることのできる父のその姿勢が羨ましくも感じた。ぼくは結局最初に見た古生物たちの佇まいが頭に残り、他のものはろくすっぽであった。
 ぼくらはお昼にするために館内を出ることにした。
 その際、ぼくは本物の化石が出てくると銘打ったガチャガチャを一回やってみた。
 化石までもガチャガチャにしてしまう発想に、日本人の何でもやってまえ精神を痛感しつつ、ぼくはカプセルを取り出した。化石もお手軽に手に入る時代となったものだ。嬉しいと言うのか、侘しいと言うのか。
 貝の化石が出てきた。ゴニアタイトというらしかった。ゴリラじゃないだろうな。
 おれの手のひらにすっぽりと隠れてしまうほどの大きさのお前はどこまでいのちの始まりを知っているというのだろう・・・そんな疑問を抱いてもみた。
 ぼくはその化石をここでの思い出の象徴として博物館を後にした。・・・
 
 外は相変わらず日差しが強く、そのために茂った緑たちも一層色濃く映えている気がした。
 そうしてやっぱり町外れの静けさが身に染みる雰囲気だった。正確にはセミの鳴き声が反響しているのだから静か、とは違うものの、人工的な音がないことがそうおもわせた。それは寂しいという感じではなくしばらくはなにもかんがえないでただじっと佇んでおきたいくらいに快い静寂だった。
 ぼくは館内を出てから車に乗るまでのちょっとした時間に、そんな空間を胸いっぱいに吸い込むようにして感じ入りながら、やがて腹いっぱいにするために飲食店へ向けて車を走らせた。