STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

公衆電話と文学

 我が家の固定電話にはどこからかかってきたのかを知らせてくれる機能がある。
 機器自体の機能というよりサービスなのか、とにかく登録しているひとの名前だったりどこの都道府県からだったりを出る前に教えてくれる。
 その中のひとつに公衆電話も含まれていた。というかつい最近知った。この間初めて聞いた。
 夕飯を食べ終えたころ、聞き慣れないことばを繰り返しながら電話が鳴った。なんなんだと注意を向けるうちに「コウシュウです」と聞き取れたので、なるほど、公衆電話のときはこうなるのかとわかったのだった。どーでもいいけどぼくはなぜか「口臭」を連想してしまった。
 口臭を気にする息子にかわって母が受話器をとった。
 電話の相手はおばさんだった。
 ケータイをどこかになくしてしまったので、自分のケータイにかけて鳴らしてくれないか、とのこと。着信音でどこにあるのか探すのだろう。
 確かに、登録しているひとの番号なんてパッと浮かぶわけもない。それでも自分に馴染みのある家の電話番号くらいなら確実に覚えているというわけだ。固定電話が当たり前に設置されている家庭で育てば、イヤでも覚えるものである。
 頼み事を請け負った母は早速おばさんのケータイに電話をかけていた。
 まあ、最近のケータイはパスコードに加え顔認証やらなんやらあるから、たとえ誰かに拾われていたとしてもそうやすやすと開かれることはないだろう。それに日本人は基本まじめなはずだから、道にでも落ちていたら交番に届いているだろう。ぼくはそんな風にのん気に構えながら、ふと公衆電話におもいを馳せた。
 ぼくが最後に触れたのは一体何年前になるのだろう。・・・全くおもい出せないほどに、公衆電話はすっかりぼくの生活では身近なものから身遠なものへと影をひそめてしまっていた。今テレホンカードで電話してくださいと言われたとて、多分まごついてしまうにちがいない。それくらい感触のないものになってしまった。
 ぼくが小学生中学生のころはあちこちにあの緑色の公衆電話がある光景が当たり前で、ぼくもことあるごとに駆け込んでは家に電話していた記憶がうっすらと残っている。それが、一体いつのころからなのだろう、気のつかないうちにひとつ消え、またひとつ消え、そういえば、とおもい返すときにはもうすっかり見当たらないものになってしまっていた。まるでホラーだ。
 少なくなっていることに気づいたとて、誰も困りもしなければ使うこともない。そんな存在になっていた。公衆電話の神隠し。千と千尋なら満員御礼だが、公衆電話は消えたことさえ認識されない。
 もちろんぼくの生活圏外になってしまっただけであって、今でもインフラとして現役であることに変わりはないのだろう。それでも使わなくなったし、使おうとおもうことも無くなった。レトロ、今風に言い換えればエモい(いまいちこの「エモい」の使い方がわからん)とでもなるのか、もうそんなそろそろ博物館行きになりそうな代物になったのかもしれない。
 いつだったか、東京は九段下にあるなんとか館(その名もずばり昭和館だったか)に行った際、展示されているダイアル式の電話機の前で親子があーだこーだとやっていたのをおもい出す。
 子どもの方が掛け方をわからず、親にこうやるんだよと説明を受けていた。そりゃダイアル式なんて知らんだろ、とぼくは得意になっているその父親を呆れながら見ていたけれども、それが今から十年前。今では親であってもダイアル式を知らないひとだっているのだろう。知っていれば、むしろプロトタイプと現代っ子に笑われる始末かもしれない。
 そんな自分も、ひととき公衆電話のある風景を写真に収めるのを趣味としていたことがある。
 といってもそれは、いつか消えてしまうかもしれないその存在を味のあるものとして捉えることによって新しい物好きの同年代とはちがうんだぜというイタい自己満足に酔いしれていただけなのだが。・・・
 それはともかく、重要文化財などとは打って変わって、いまだにあるのが不思議とでもいうような、古いというか、遅いというか、そうしてどこか哀れっぽさもあるのが、ポツンと佇む公衆電話だった。
 そんな公衆電話に、ぼくはなぜか文学を重ねていた。
 なにを持って文学とするかはさておき、この文学というやつも、気づけばすっかり廃れた感がある。
 ひとびとの思考をときに育み、ときに娯楽として当たり前に親しまれていた文学も、そもそも活字だらけの本とか見るだけでNO、分厚い本は眼中にもない、みたいな感じで煙たがられる存在になってきた、というのはぼくの偏見が過ぎているだけだろうか。
 威厳、或いは権威というものが溶けていった結果とも取れるかもしれない。
 どこか堅苦しかったものがだんだんと親しみやすい形になり、それがいつの間にか、なんというかよりパフォーマンス性のあるほかのもっと親しみやい媒体に追い越されてむしろとっつきにくいものになり、自然と遠ざけられるものになってきた。
 かつては大衆に必要とされていたインフラが徐々に役割を終えてゆく。文学というインフラもまた、時間をかけながら削り取られてゆくようにその役目が他のものに代わり、ただ単に聞こえのいい「文学的」「文学風」だけがひとり歩きして雰囲気という感覚ばかりの産物になり始めたのかもしれない。
 公衆電話も文学もおもいを伝えるものだ。
 本来はそのおもいを伝えることこそが目的であって、文学も電話も手段でしかないのだから、手段に執拗にこだわるのもどうかしている。
 このふたつはこれからも必要とされなくなっていくのかあ、とおもうと、それはそれで一抹の寂しさも感じた。文学はともかく、公衆電話がはやることはもうないだろう。
 そんなこんなで、ここ最近では一番公衆電話を身近に感じる日となった。
 ぼくはおばさんのケータイが無事見つかることを祈りながら、スマホを取り出して動画を見始めていた。