STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

いのちを見つめた五日間

 いのちを見つめた五日間、と銘打つと、なんだかとても大層で壮大で重みと深みのある内容を想起するかもしれない。しかしなんのことはない、コロナにかかってゲーゲー休んでいたというオチだ。
 
 先だって、ぼくはコロナになった。
 勤め先でひとりが発症し、ひとり、またひとり、と次々かかり出した。
 体調には気をつけないとなあ、と会社のひとと互いに気配り合いながら、その実ぼくは、いやいやおれはどーせかからんだろ、と感染対策もテキトウで過ごしていた。
 そんなある日の朝、目が覚めると喉が痛かった。
 まあ、季節の変わり目というのは大体こんなものだ、とぼくは唾つけときゃ治る感覚で、のど飴をなめて過ごしていた。
 しかしこれがなかなかよくならない。というより午後になるにつれ熱も出てきた。
 念の為自宅でできる検査キットで調べてみると、陰性。ほらやっぱり、ちょいと疲れが出ただけだろう、とぼくはその日病院に行くことをうっちゃった。
 が、案外それがいけなかったかもしれない。
 夕方を過ぎても体調は一向におもわしくない、むしろどんどんと気だるくなっていった。昼食後に余裕こいてアイスを食っていたのがなんだか遠い過去のようにも感じられた。今は食欲もない。
 ぼくは家にあったなけなしのゼリー飲料をしゃぶりながら、明日検査の為に休むことを会社に連絡していた。
 熱は38度2分。
 及川はん、あんたそりゃもうコロナやん。
 
 病院までは自分で運転していった。
 指定の時間に指定の場所へ行き、綿棒で鼻の奥をぐいぐいやられた。いやいや、やり過ぎでしょ。医者を呼べ。
 結果がわかるまで15分くらいお待ちください、と言われたので、ぼくは座席を倒して横になった。隣にも車があって、運転席では女性の方がスマホをいじっていたけど、ぼくにはそんな気力はない。
 15分間横になろう、と目を閉じたら、なんのことはない、すぐに車のドアをノックされて、もう出ました、とその自分の検査キットを見せられた。
 くっきりと2本線。陽性であった。
 ぼくは再度会社に連絡を入れ、検査をしたその日から5日間、出勤停止の運びとなった。
 
 他のひとにどういった症状が出ているのか知らないけれども、ぼくは頭痛、腹痛、筋肉痛と、まあ痛いやつが続いた。
 これに加えて咳と吐き気、特にゲップしたいときの吐き気は困った。ぼくにとってコロナは軽症ではなかったようだ。
 咳止めや解熱剤を処方されていたけれども、そのうちこの解熱剤が効いたのか、熱はよくなったものの、空腹にならないようにと努めていたのに途中から胃を痛めた。ゼリー中心の食事で耐えられるほど、ぼくのお腹は頑丈ではなかったらしい。
 頭痛や筋肉痛も、久々にガチガチで痛いレベルだった。眼球を動かすだけでもう気持悪くなるし、悪寒もあって体は節々まで痛みがあった。
 そんなこんなな状態なので、ぼくは3日間はおとなしく寝て過ごした。
 退屈というなら退屈だった。寝返りを打って、ときどきトイレに起きて、食えそうだったら食事をとって、また寝る。
 読書か部屋の片付けでもできたらなあ、とおもいつつ、痛みとだるさでそれもできない。寝ていたって同じ姿勢だと体が痛くなる。
 案外2日目にはケロリと治って、なんなら会社に内緒でどこかに小旅行でも、と悪知恵を働かせようにも、本当にただじっとしているばかりだった。
 なにか有意義なことでもしたいなあ、というのが、ぼくが寝ているときに何度もかんがえることだった。
 
 どうせならそんな有意義さを切り捨てて瞑想じみたことでもしてみよう、とおもい至ったのは、今のこの状況が、ぼくが以前読んでいた堀辰雄の療養と重なったように感じられたからかもしれない。
 昭和の作家・堀辰雄は、若いころから結核を患い、元気に旅行や執筆ができたときでも年の半分ほどはじっと引きこもって静養と瞑想に努めていた、と堀の友人である神西清が書き残している。
 詳しいことはさておき、ぼくは神西が書いたその文章と自分が連想したあれこれとをごちゃ混ぜにしながら、自分もこういうときはただおとなしく、それこそ植物のようにじっと佇むのみに徹してみようと浅はかにもかんがえたわけだった。
 ぼくは早速、頭の中でぐるぐる回り続けるどーでもいい思考の反芻を押さえ込むようにしながら、外が見える方に寝返りを打ってそこから見える植物をただずっと眺めてようとしてみた。
 が、今はなにかを見ているのもすぐに疲れる始末だ。じっとしている植物を視覚から感じそれに同調してみようとする試みはまだきつかった。
 ぼくはただじっと目をつむって自分の内面を見つめてみようとおもった。内面、といってもそれは頭を働かせるのではなく、それこそ植物のように、静かに動かないでいることが本来のいのちの在り方のように呼吸することに努めた。
 ちょうど小雨の日であったのでかすかな雨音が聞こえた。
 それから虫の声。風に揺れる葉っぱの音。
 それと、オカンの鼻歌・・・はカウントしないことにした。
 ぼくは音の中にいのちを感じていた。・・・
 
 当たり前の話だけど、コロナだから、症状が辛いから、と言ったって死ぬかもしれないとはこれっぽっちもかんがえなかった。
 時間がもったいないなあとごろごろしている現状を憂いたことはあったけれども、来週にはこの状態がうらやましくなるほどまた仕事に舞い戻っているんだろうなあとおもうと、そのごろごろしていることが贅沢なひとときにも感じられた。
 正直、今までだって何度も絶不調を乗り越えて生きてきたわけだ。
 インフルエンザでガタブル震えていたことも、下痢が止まらないほどの腹痛も、或いは4日続いた不眠症も、そのときはえらく苦しんだもののの、なんやかんややってきた。生きている今が結果だと言わんばかりに。
 「人の苦しみには限界があって、その極限が死なのだ」ということばを読んで「死がくるまでは苦しみに耐えられるというわけだな」と軽い気持で言ったのは、先ほど紹介した堀辰雄である。
 堀の病気は結核で、その苦痛は昨日おとといコロナになったぼくの比ではないけれども、ぼくは布団の中でボケーっとしたままそのエピソードをおもい出しては、この今の苦しみもいずれ忘れるだろう、と楽観視することができた。ことばはこういったときも力になる。
 こういう状況でしか感じることのできないいのちの形もあるにはあるのだろう。ぼくはそんな風にかんがえると、またじっと自分の呼吸に耳をそば立てながら、生きようと常に試みている自分の体も丁寧に感じようと努めてみることにした。