STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

出会いと奇跡の九日間

 スタジオジブリの映画『耳をすませば』が28年ぶりに上映される知らせを受けたのは、ちょうどその映画が上映される調布でのことだった。
 『耳をすませば』が上映される━━━あの『耳をすませば』が、生きているうちに映画館で観られるなんて────その話を聞いたぼくは、驚きというよりも、ただただ呆然としていたとおもう。
 
 それは1月上旬のことだった。
 東京時代に「いつでも行けるしな」と高をくくってついぞ足を運んだことのなかったジブリ美術館に、ぼくはようやっと行くことができた。
 実はその2、3年前から行く計画は立てていた。
 ただ、自分が(これも余裕をかまして)ジブリなんだしいつでも予約取れるだろ、とおもって旅行3日前あたりにローソンに行ったらすっかり販売終了していたり、その次には、美術館は月曜休みが基本だとロクに調べもしないでホテルや新幹線を予約して日程をガチガチに固めたあとローソンに行ったら、今度はそこで初めてジブリ美術館は火曜定休と知って打ちひしがれたり、挙句新型ウイルスによって三鷹市民限定の入場になったりスマホによる電子チケットでしか入れなくなったりと(当時のぼくはコテコテの3Gガラケーユーザーだった)なんだか行くに行けない状況が続き、気力もうすれてすっかりうっちゃっていた。
 それでもようやっとやる気を出して、2023年1月8日、事前準備よろしくぼくは念願のジブリ美術館に初入館した。なかなかの雨の日だった。
 おれの代わりに空がうれし泣きでもしているのだろう、と前向きにとらえながら、こぢんまりとした折りたたみ傘でひたすら列が流れるのを待った。会場5分前では遅すぎるらしい。
 長い行列の末にようやっと入れた。実に入館まで長い美術館だ。
 入り口で噂に聞いたフィルム入場券をいただいた。
 おばあちゃん姿のソフィーが階段を降りようとしているところだった。うーん、よかったのやらがっかりやら。
 とりえあず主人公が映っていたということで御の字としておいた。
 館内は地下、1階、2階となっており、屋上には『ラピュタ』に出てきたロボットもいた。
 ぼくは始めに土星座で短編映画の『たからさがし』を観てから館内を上へ下へぐるり見て回った。
 ちょうど螺旋階段があったのでそれをぐるぐる登ったり、渡り廊下を歩いたり、これが宮崎駿の脳内か、とあちこちに目を配らせながらそうかんがえた。実に楽しい美術館だ。遊べる美術館なんて、日本にはそうないだろう。ぼくはジブリの発想を盗めるだけ盗もうとおもい、仕掛けだらけの建物の中でなるたけ細かいところにまで目を光らせるように心掛けた。
 館内は撮影禁止であったものの、カメラなんて忘れるくらい美術館の世界に入り込んでいる自分がいた。「迷子になろうよ、いっしょに。」と銘打ったとおり、順路なんかあべこべで歩いた。
 一通り見てからお土産コーナー「マンマユート」に足を運ぶと、すでに会計待ちの列が廊下にあふれて並んでいた。
 ・・・おいおいお客さん方、まだ開園して2時間も経ってないぞ、どこほっつき歩ってたんだ、ちゃんと館内見学したのかよ、とぼくはその惨状にたじろぎながら、けれども友人へのお土産を買うためにごった返している部屋の中に入っていった。どの美術館もそうだけれども、物販コーナーが一番にぎわっている。これがジブリならなおさらだった。ジブリ、恐るべし。
 インテリア等の置物や生活雑貨はさっさとあきらめて、ぼくはお菓子だけをささっと見繕うと廊下に出て会計の列に並んだ。
 10分以上は待っただろうか。ようやっとのことでお会計を済ませたらカフェ「麦わらぼうし」へと足を運びしばらく休息をとった。麦こがしのラテを頼んだ。
 外は相変わらずの雨でただいるだけでは寒かったものの、ぼくのこころの中には満ち足りたおもいがあった。ラテのあたたかさも身に染みておいしく感じられた。
 初めてのジブリ美術館は、こんな感じでいい思い出となった。
 こんなことなら東京時代に2,3回は行くべきだったなあ、とほろ苦い後悔をおぼえたものの、ようやっと行けた、という今回のうれしさがそれを帳消しにしてくれた。
 次来るときは開園直後にお土産だな、と冗談半分におもいながら、ぼくはジブリ美術館を後にした。
 そうして、その後調布にて友人たちと再会を祝っているときに、その『耳すま』再上映の話を聞いたのだった。・・・
 
 『耳をすませば』は、1995年7月に公開されたスタジオジブリのアニメーション映画となる。
 読者好きの主人公、月島雫が、ヴァイオリンづくりの職人を目指す少年、天沢聖司と出会い、やがて自身も物語を書くことに挑戦する────内容を要約するとこうなるだろうか。
 主題歌の『カントリー・ロード』を聴いたことがあるひとも多いとおもう。主人公の声を担当した本名陽子さんが歌っている。
 脚本・絵コンテを宮崎駿が、監督は名アニメーター近藤喜文が務めた。
 この映画をぼくが初めて見たのは、高校1年の3月、金曜ロードショーでのことだった。
 それまでぼくにとってのジブリは『天空の城ラピュタ』一択だった。正直ほかの作品は名前を知っている程度でしかなかった。
ラピュタ』はぼくがまだ小さいころに、たまたま父が録画してくれたビデオを何度も見ていたのだ。それでジブリと言えば『ラピュタ』と頭が固まり、なぜか知らず、ほかのには興味もなかった。変なところで一途を通す男である。
 それが高校生になった頃、これもなぜか知らず「高校生にもなってジブリをまともに見てないなんてもったいないぞ」とあせり、金曜ロードショージブリがあれば録画しようというかんがえにいたっていた。
 その矢先に『耳をすませば』に出合ったのだった。
 当時16歳になりたてのヤング及川が14歳を主人公とした映画を観たのだからタイムリーと言えばタイムリーととらえられなくもない。ただ、それ以上にぼくのこころをとらえたのが、主人公雫ちゃんの「物語を書く」という姿だった。
 それというのも、当時のぼくは漠然と「作家になれたら面白いんじゃないか」と空想していた。
それは映画版の『ハリー・ポッター』シリーズを経て読み始めた原作本であったり、姉から勧められて読んでいた『キノの旅』シリーズであったりが、ぼくに将来の職業として作家を想起させていたとおもう。ことばで空想を語る、という創作手法がなんだかピンときた感じだった。
 と言っても、それはどこか読書をかじったばかりの思春期少年が妄想する程度の、軽く楽観的なものであった。だったらいいな、とつぶやきながらやがて時間の経過とともに消えてしまういつものパターン・・・、自分でも本気にはしていなかった気がする。
 それが『耳をすませば』で一変してしまったのだった。
 タイトルの語感がいいなあ、とはおもったものの、ぼくは最初この映画の内容なんて全然予想できなかった。ちょろっともテレビで見たことがない。なのでこれといって期待していなかったけど、とりあえずジブリは見ると決めたから、という気持でテレビに向かっていた。
 そんなテキトウな気持でいたのに、見終わるころにはことばもなく釘付けになっていた。まるで冗談半分に作家を目指している自分に書くことのなんたるかを突きつけたように感じ、ぼくはあ然もあ然、ただただ呆然としてばかりいた。
 なんというか、雫ちゃんの必死さに胸を打たれていた。
 すなおに、感動した、と言っていい。
 これは或る種のおもい込みでもあるけれども、16歳の、作家を夢想している時にこの映画に出会えたことは何者かの啓示、シンクロでしかない、とかんがえたのだった。それだけドスン、となにか腹に叩き込まれた気分だった。
 3日連続、はさすがに記憶補正が働いているに違いないけど、すくなくともぼくは3週間のうちに3回は録画した映画を見返して、その余韻に浸っていた。
 この時が、完全に作家を目指す分岐点になった。
 ぼくはそこから急に、本気を出すなら本を読まないといけない、と今まで行きもしなかった町内の図書館に通うようになった。無性に雫ちゃんの真似をしてみたくなった、という思春期ならではのテイタい事情もある。むしろよくもまあ今まで通わなかったものだ。
 ともかく、これがぼくの文学事始めであった。
 
 1月の上京の目的はジブリ美術館であったのに、その感動はどこへやら、ぼくは友人と談笑しつつも、来月に公開される『耳をすませば』が頭からはなれなかった。
 公開時の95年は、ぼくが5歳のときだった。
当然、映画館で観てなどいないし、仮に目にしたとしても記憶に残ることはなかっただろう。そもそもド田舎生まれの自分にとっては、映画館は地理的に遥か遠くの話でしかなかった。
 当然『耳をすませば』はぼくにとってテレビでのみ見るものであった。
 もちろん、いつかリバイバルするんじゃないか、と淡い期待を抱かなかったわけじゃない。ジブリはときたま再上映してくれるし、実際ぼくがいつぞや上京した際、2週間後くらいに調布で『ラピュタ』をやることを知ることもあった。2週間後じゃ予定も予算も組めない、とあきらめたことを今も覚えている。
 ただ、その再上映は基本宮崎駿監督作品であることが多く、というか『ゲド戦記』以外聞いたことがなかった。
 高畑勲監督作品にもお目にかかれないのに、ましてや『耳をすませば』をやるとはおもえない・・・、劇場公開は常にぼくの空想上で行われるだけだった。
 それが、夢か幻か、28年ぶりにスクリーンに帰ってくるというのだから、驚かないわけにはいかなかった。夢でも幻でもない、確実に現実の話だった。
 事のいきさつはさっぱり把握できないけれど、調布ではシネマフェスティバルという催しがあり、そこでの上映が決まったらしい。
 このシネフェスでは過去にもジブリ作品、というか駿作品を公開していた。『ラピュタ』もその一環だった。
 もしかすれば、ファンの間ではそろそろ『耳すま』くるんじゃないか、とささやかれていたのかもしれない。この間も実写版の『耳をすませば』が公開されていたので、それが或る種の追い風となった可能性もある。
 いや、そんなことはどうでもよかった。劇場公開をあれだけ夢見ていたあの映画が、あの映画が本当の本当に再上映されるのだから。────
 しかもその公開場所が、自分が東京時代住んでいた調布なのだ。
 ここにもぼくは親近感を感じないではいられなかった。確かに調布は映画のまちとして名前が通っている。ぼくがいたころはまだ映画館はなかったものの、駅が地上から地下に新築され、ちょうど駅周辺が大規模工事を行っていたことを覚えている。そうしてぼくが離れてから映画館ができ、時を経てそこにあの映画が帰ってくるのだ。
 その日、友人たちと心地よい談笑の後でホテルにもどってからも、ぼくはずっと、この一生に一度かもしれない劇場公開のことが頭から離れなかった。
 正直行くことしかかんがえられなかった。あとは予定と予算をどうするか。そこで今一歩がまだ踏み出せないでいた。
 友人からは、来るのを1ヵ月ずらせばよかったな、と言われた。ホントにそうだった。まさかこんなことになるとは予想もできなかったからなんとも致し方ない。知れたことだけでもありがたいというものだ。
こうなると教えてくれた友人に感謝しないではいられない。持つべきものはいつだって友人だ。
 ぼくはうれしさと悩ましさを抱きつつ眠りについた。
 
 と言っても、話を聞いた時点ですでに観る方向に頭が回っていたのは事実だった。
 これまでにも一生に一度のチャンスを棒に振ってきたことはあった。三振の人生が染みついた今も、おもい込みや自信のなさから手放すこともしばしばある。
 けれども今回ばかりは、与えられたこのチャンスを活かさないではいられなかった。ずっと夢に描いてきた劇場公開を、まさか指をくわえて見過ごすなんてことはできない。行動しかない。
 上京は一泊だったので、次の日のお昼過ぎにはもう新幹線に乗っていた。
 ぼくはケータイを取り出しながら、とりあえず自分の目で情報だけでも確かめよう、とシネフェスについて調べた。そこには確かに公開の情報があった。
 今度はとりあえず公開日程に目を通した。2月11日から19日までやっている。特に11日のとある回は雫ちゃんの声を務めた本名陽子さんが舞台挨拶をするらしい。そこはもう完売だった。
 それはおいといてもいい。ぼくはまた、とりあえずこの日は、とりあえずこの回は・・・・ととりあえずを繰り返し、帰りの新幹線のなかで気づけば自然と来月公開のチケットを購入したのだった。
 
 2月15日。昼。
 ぼくはふたたび東京にやってきた。
 2ヵ月続けての上京は初めてであった。
 それでも、東京駅に着くたびに一抹の懐かしさを感じることは実家暮らしに戻って以来変わらない。
 以前東京に住んだことのあるひとは、みんなこの日本随一のターミナルに郷愁を抱くのだろうか。となると、上京手段の新幹線は或る種のカントリー・ロードであるのかもしれない。
 それはさておき、ぼくは東京駅構内にあるどんぐり共和国へ向かうと、そこで耳すまグッズのムーンのぬいぐるみや地球屋ミニチュアコレクションを大人買いしてから新宿に向かった。それから京王線に乗り換え特急に揺られた。
 やってきたのは『耳をすませば』の聖地、聖蹟桜ヶ丘であった。
すでに東京時代、何度も訪れていたものの、映画を観る前に改めて作品のモデル地を味わっておこうとおもった。要は聖地巡礼だ。映画を観る前にモチベーションを上げておいて損はない。
 この日は天気がすこぶるよかったものの、あいにくの強風だった。おかげで寒いったらなかった。
 ぼくはニット帽を目深にかぶりながら、雫ちゃんが歩いたように駅前の横断歩道や大栗川をまたぐ橋をわたり、いろは坂の階段をのぼっていった。劇中ではここに図書館が、あのあたりに地球屋が・・・などといちいち作中と目の前の光景を比べもしていた。
 階段を登り切ったすぐ脇には、雫ちゃんの同級生杉村が、その雫ちゃんにものの見事にフられた神社が建っている。参道入り口には、ぼくが東京にいたころにできた恋おみくじも現役で稼働していた。
 縁起がいいのか悪いのかはさておき、ぼくはお参りをしてしばし杉村におもいを馳せながらその恋おみくじを引いた。以前引いたときは大凶で、おれは杉村か、とツッコんだことを覚えている。今回はどうなのか。それは映画を観終わった後にとっておいて、ぼくはカーブの続く坂の上を進んで行った。
 坂の上から見下ろす町並みは、快晴も相まってどこかきらきらしてさえいるように目に映った。
 階段に沿った電線がロープウェイのように急降下し、建物の影を落とした一本道がどこまでも続いている・・・遠近感の強調されたその風景は、まるでイバラードの世界がその地平線の向こうに今にも立ち現れそうで、ぼくはしばし見入っていた。これから映画を観るんだ、という期待が高まった気分がそうさせていた部分もあったかもしれない。映画にも、雫ちゃんの背中を映しながらそんな景色が出てきた。眼下にはいろは坂がうねり、駅や電車が遠くに見える。実際にぼくが見ている景色は駅とは反対側の方角だけれども、ああジブリはこういった風景をうまく組み合わせてひとつの街を作り上げているんだなあ、とそんなことをしみじみおもった。丘の上に住んでいるひとたちがなんだかとてもうらやましかった。
 やがて劇中をおもわせるロータリーへ出た。
 丘の上にあるからか、閑静な雰囲気がただよっているように感じられる。おそらく、日本で一番ラブなロータリーだろう。
 来た道を文字盤の12時として、時計回りにぐるり進む。するとだいたい6時のあたりに洋菓子店のノアが建っている。
 このお店は劇中に登場するわけではないものの、その立地が地球屋に似ていることもあり、耳すまファン、ジブリファンが多く訪れるお店となっている。かくいうぼくも何度も来ている。駅からしばらく歩かないとたどり着けないが、そこがまたよかった。
 店内は耳すま関連のグッズで彩られており、見ているだけでたのしい。バロンやルイーゼの置き物、パズル、サンキャッチャー、すりガラスも耳すま仕様で、至れり尽くせりというのか、心地の良い空間がそこに出来上がっていた。
 入店すると、すぐにおかみさんが(という表現でいいのか知らんが)気さくに出迎えてくれた。
 こちらのおかみさんに、ぼくは勝手に親近感をいだいている。
 それというのもこのおかみさん、ぼくと同じ岩手県出身であるのだ。これは以前足を運んだ際、立ち話のなかで知った。これも些細なことではあっても御縁であろうか。ぼくも岩手出身です、あらそうなの、と前回訪れた際話せたことは、ほっこりとした思い出となっている。
 当たり前だけど、おかみさんはぼくを初めての客だとおもって接していた。ぼくもそのつもりで返事をした。まあ、このお店はぼくにとっていつでも初めのお店みたいな新鮮味を感じる場所だ。ぼくはまたおかみさんと同郷であることを話し合い、東京に来た理由を『耳をすませば』上映のためだと伝えると、うれしそうに観た後かこれから観るのかを聞いてきてくれた。こういった気を張る必要のない対応に、外の寒さなんてどこへやら、ぼくはこころからあたたかさを感じた。
 ぼくはお土産用のお菓子を選びながら、店内でいただくケーキをひと切れ、それと珈琲を注文し、お会計をすませて、道路に向いた椅子へと腰かけた。
 店内にはすでに別のお客さんが来ていた。女性3人組で、今さっき映画を観てきたことを喜々として話しているその雰囲気がなんだかとても微笑ましかった。すぐちかくに同じ映画が好きなひとがいる気分はうれしいものだ。
 素直に感想を述べ、店内を撮影するその姿は、ひとりで来ていたぼくにはとても真似できない行動力で、そういった積極性はすこしうらやましいくらいだった。
 やがて運ばれてきたケーキと珈琲で3時のおやつとしゃれこみながら、ぼくはここで、あと1時間弱にせまった劇場での『耳をすませば』におもいを馳せた。
 おもえば、大なり小なり御縁を感じないではいられない今があった。
 もしも友人が耳すま情報を教えてくれなければ、ぼくは間違いなく再上映を知らないで過ごしていたことだろう。ぼくが東京時代にその友人と会っていなくても、そもそも東京に行ってなかったら、一生この機会に恵まれることなく生きていたに違いない・・・、ぼくは東京でできた友人のN美さんとK﨑くんにこころから感謝した。
 高校時代にジブリに触れたこと、おかみさんの出身地、自分が住んでいた調布に映画館ができたこと、これらもまた、ぼくにとってはかけがえのない縁であった。
 ほかにも、ぼくの見落としている、気づいてさえいないたくさんの縁があっての今回の上京であることをぼくはこの場でかみしめてみたかった。出会いと奇跡の物語────たしか、『耳をすませば』のなにかの紹介文にそういった文句があった気がする。ぼくにとっては『耳をすませば』を知れたこと、聖蹟桜ヶ丘に来れたこと、そうしてこの再上映こそが奇跡とも言える出会いであった。
 
 奇跡とも言える出会い、というなら、今回のリバイバル、実はもうひとつうれしいことがある。
 それが『On Your Mark』の同時上映だった。
 この作品はCHAGE & ASKA(CHAGE and ASKA)の同名曲のPVとして制作された言わば短編アニメーションで、95年に『耳をすませば』と同時上映された。
 もしかすれば、ジブリ好きのなかでもわりかし知名度の低い作品かもしれない。しかし中には、この作品こそ宮崎駿の最高傑作だと言う人もいる。それだけ魅力がつまりにつまった作品であった。
 ぼくは新幹線内にて『耳をすませば』の上映チケットを購入した際、『On Your Mark』も当時と同様いっしょに上映してくれないかなあ、と淡い期待をいだいていた。そのときはまだ公式での発表でも触れられていなかったとおもう。
 それが数日後、なんとはなしにシネフェスについて検索していたら『On Your Mark』も上映決定というから驚かないわけにはいかなかった。一瞬耳をうたがってしまった。金曜ロードショーにさえたった一度しか放送されなかったあの作品も、今回そろって劇場で観られるなんて。なったらいいな、が本当に実現していることにぼくはじわじわとよろこびがわいてきて、チケットを買って本当に良かった、と何に対してかわからないけれど感謝していた。だれの粋なはからいであろう。これも鈴木敏夫の手腕であろうか。
 とにもかくにも、全ての宮崎駿が詰め込まれたあまりにも最高傑作であるこの6分48秒の短編フィルムも、28年ぶりに、95年当時そのままに『耳をすませば』との同時上映という形でスクリーンに帰ってくる。これこそ一生に一度、もう二度と劇場でお目にかかることのない体験になるに違いなかった。冗談じゃなく、ぼくは生きている間にこの2作品の同時上映に巡り合えたよろこびをひたすらかみしめていた。ヤング及川がふっといだいた淡い夢を、順調におじさんへの階段を上っている及川が叶える形で、本日、観に行くのだ。それもぼくの住んでいた映画のまち調布で。
 ・・・まあ、実際の最寄り駅はひとつとなりの布田駅だったけど、一駅くらいは大目に見ることにしたい。
 
 時間をかけて食べることに努めながら、ぼくは注文したケーキを味わった。
 ぼくは改めて、今自分がここにいることに対して感謝しないではいられなかった。 
 きょうだけでも、無事新幹線や電車が動いてくれる奇跡、ノアが開店している奇跡、映画館がやっている奇跡、なによりもこの作品が実に多くの方によって愛され続けている奇跡、もう何に対してもありがたかった。丘の上に来て、こころなしかモチベーションができあがってきたからだろうか。
 ぼくのような、上映日をソワソワしながらすごしているひとはどのくらいいるのだろう。ずっとずっと待ちわびていたひと、はるばる北海道や沖縄から来るひとだっているかもしれない。それから、もしかしたら、近藤喜文監督の友人だって観にゆくのかもしれない・・・ぼくはひとびとのさまざまなおもいを想像していた。
 ぼくはおかみさんにごちそうさまを告げると、丘をまく坂の道を下って行った。
 
                 ⁂
 
 劇場で観た『耳をすませば』と『On Your Mark』は、有り体に言うなら想像以上のすばらしさだった。これこそ感動に尽きる。
 95年当時とおなじく、まずは『On Your Mark』から流れた。
 通常ジブリが放映される際は、最初に青い背景に横向きのトトロが映し出される。 
 それが『On Your Mark』の場合、円盤で見たときと同様「ジブリ実験劇場」と書かれた映像が流れ、そうして本編が始まるのだった。なんというか、いきなり始まった感じだった。
 それは最初の音から違っていた。
 家庭用の、ごくごく普通のスピーカーでしか聴いたことのなかったぼくは、てっきりそれがそのまま流れてくるとばかりおもっていた。
 しかしかんがえてみれば当たり前で、ここは映画館、臨場感が桁違いのイントロ、それにアスカのエコーが流れてきて、その瞬間にぼくは立ち上がりたいくらいの衝動にかられながら、すっかりその世界観に引き込まれてしまった。
 曲も効果音も体中に響いてきた。なまものとしての音が劇場を包んでいる、とでも言えばいいのか。
 冒頭の、飛行する機体がネオン街を背景に右上から入り込んでくるときのすさまじい効果音、その機体がトンネルを抜け出たときの例えようのない没入感・・・ああ、宮崎駿はPVをつくったんじゃない、劇場で観るためのアニメーションをつくったんだ・・・ぼくは釘付けになりながらそう確信していた。これはテレビで見る映像ではなかった。劇場で体感するべき作品だったのだ。
 翼の生えた少女、唸りを上げる車、息つく暇もない逃走劇、リフレインする映像、それらに合わせてチャゲアスの曲が館内に響いている・・・、ぼくは岡田斗司夫の『On Your Mark』解説をリフレインさせようと試みながら、けれどもやっぱり、そんな行為など追いつくわけもなくすっかり眼前のスクリーンに没頭していた。何十回と円盤で見ていた作品であるのに、全てのカットが新鮮だった。食い入るように観る、とはまさにこのことで、ぼくは1秒でも多く記憶しようと前のめりだった。
 一生に一度としてはあまりにも短すぎる『On Your Mark』は、なんとも言えないカタルシスを伴ってフェードアウトしていった。もう円盤でなんか見られない、これこそが劇場用作品と断言できるほど、それくらいに圧巻だった。
 それからほどなく、いよいよ『耳をすませば』が始まった。
館内に響きわたるあの美しいコーラス、オリビア・ニュートン=ジョンの『Take Me Home, Country Roads』にのせて、暗闇から都心の夜景が浮かび上がる。そうして画面が下に向かうと多摩川が映し出され、橋を渡る電車とともに「耳をすませば」のタイトルがスクリーンに現れる・・・、それだけで、なんだか全ての夢が叶ったかのような幸福感に包まれ、ぼくは胸がいっぱいになるのを実感した。実際、こみ上げてくるものがあった。これだ、これをおれは劇場でずっと前から観たかったのだ・・・、そう何度もかみしめていた。
 ぼくにとっては『耳をすませば』のこの冒頭シーンこそあらゆる作品の中で一番好きな始まりであった。
 楽曲も映像も、とにかく好きだった。
 電車に誘われるように物語の舞台が映し出され、徐々にアングルが下がりながら、やがて主人公の利用する駅に電車が停まるときに地上の目線となる。そうして、なんということもなく駅傍のコンビニから主人公の雫ちゃんが登場するのだ。
 この、一見駿が絵コンテをきるにはあまりに地味な演出こそ、ファンタジーの世界ではない現代をまさにそのまま舞台としている気がして、さらには等身大の少女を描いている気がして、この着眼点がジブリたる所以かもしれないと勝手に感心していた。そうしてそんな劇中の多摩都市が、今ではもうノスタルジックな味わいをもっていることもぼくの胸をくすずった。しかもそこで流れるのが、オリビアの歌う『カントリー・ロード』なのだから。────
 劇場で観る『耳をすませば』もまた、円盤で繰り返し見ていたにも関わらず実に新鮮でみずみずしかった。こんなに良い映画だったのか、とより魅力度が増してくるのだからやはり映画館はすごかった。映画は映画館でこそ観るべきものであることを、なにか駿のことばをおもい出しながら全身で感じていた。
 細やかな作りを改めて随所に感じた。劇場に足を運ばなければ見過ごしたままだった箇所なんてあちこちにあった。それは映像だけではなく、ひとびとのささやき声だったり街の物音だったり、効果音にも発見があった。
 なにより、スクリーンいっぱいに奏でられる雫ちゃんと聖司くん、そうしておじいさんたちとのセッションを目にしたときは、ぼくはもう達成感に高揚していた。『耳すま』でも指折りのこの演出を、自分のゆかりの地、調布の劇場で体感できることがもう奇跡以上のものだった。かけがえのない映画を、かけがえのない場所で観ている・・・、ぼくはボーっと映画に没頭しながらも、このワンカット、ワンシーンをどうにかして大切に残そうと試みるつもりで積極的に観ていた。
 とにかく、今この瞬間が楽しくて仕方なかった。
 
                ⁂
 
 映画の後は、友人たちと1ヵ月ぶりの再会が待っていた。
 映画館を出ると空はもう暗く、調布駅前は明かりを灯して往来するひとびとを照らしていた。施設が増えた分、ぼくがいたときよりもなんだか輝いて見えた。いや、頻繁に来ることがなくなったから、余計に映えて見えるのかもしれない。
 相変わらず強風が吹きつけて凍えるほどであったものの、こころはぽかぽかと晴れ晴れとで満たされていた。
 多分ぼくはずっと胸の内で、良かった、良かった、と数えきれないほどつぶやいていたとおもう。
 それは本当に、自分で言うのも恥ずかしいけどこの映画に携わったあらゆるひとにこころからお礼がしたいほどの感謝を込めたことばだった。特にぼくは、近藤喜文監督に感謝したかった。
 雫ちゃんが震えながら自分の未熟さをおじいさんにぶつけるシーンを経て(となりの席の女性が涙ぐんでいてあやうくもらい泣きしそうになった)聖司くんと坂を上るシーンが映し出され、そうして朝焼けの中でのラストの後、本名さんが歌う『カントリー・ロード』とともにクレジットが流れる。
 次々とクレジットが出る中、「制作プロデューサー 宮崎駿」と来て、最後に「監督 近藤喜文」と出てきたとき、ぼくの胸は自然と熱くなっていた。
 宮崎駿高畑勲の両監督を支え、『ふとふり返ると』ではあたたかさを感じる輪郭線と色遣いとで人物の魅力と日常を描いた近藤喜文氏に、ぼくは勝手に親近感を抱いていた。もちろん赤の他人であり会ったことなどない。
 それでも氏の作品に事あるごとに支えられた一介の文学少年としては、この作品をつくってくれたことに、再上映という機会に恵まれたこととともに感謝しないではいられなかった。
 要は、近藤さんの映画が再び劇場で上映されたことがただすなおにうれしかった。
 この感動を今すぐにでもだれかに伝えたいものだ・・・、ぼくは調布駅前で友人を待ちながら、頭の中で必死にことばにする方法を探していた。それから、きょうのこの出会いは一生忘れない、と何度も自分に言い聞かせていた。それだけ心地よい夜だった。