STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

ベートーヴェン、気絶

 年末に合わせるわけではないけれど、この間盛岡の肴町を歩いていたとき、通りに出ていたワゴンの中にベートーヴェンの第九に関する本を見つけたのでおもわず買った。寒気身にしみる中、歓喜の季節になったというわけだ。
 今年の年末は片手間にこれを読みながら第九でも聴こうとかんがえた。
 タイトルは、その名もズバリの『第九』。
 著者は中川右介氏。第九がどのような聴かれ方をしてきたのかを描こうとする本だった。
 まだ半分も読んでいないものの、そこで面白い箇所を見つけた。
 時は1824年5月7日。
 ベートーヴェンが第九を書き上げてから初めての公演日だった。
 本には、「ベートーヴェンは自分が作った曲を早く演奏したいという、芸術的欲求で初演を急いでいたのではない。(中略)収入を得ようとしていた」とある。当時の彼は経済的に厳しく、早くお金が欲しかったのだ。懐が寒いなんて、まるでボーナスを期待していたのに出なくてがっかりしたおれじゃなイカ
 ベートーヴェンは自ら興行を打つつもりで公演会場を選ぶ傍ら、楽譜の出版社とも話をつけていた。学校の音楽室でよく見たあの人物が、ビジネスマンよろしく収益を算段していたとは。ぼくは急にベートーヴェンに親近感がわいた。
 二転三転した会場選びがようやく決まると、楽団、歌手も着々と決まってゆく。最も、歌手に変更があったり、ベートーヴェンの意向で演奏者の人数が増え、アマチュアからも加わることになったり、何かと慌しかった。リハーサルも片手で数えられる程度。
 そんなこんなで初演を迎えた。
 結果的には演奏後に拍手喝采がわき起こるほどだった。
 この拍手が、第四楽章後だったのか、テンポが早くて盛り上がる第二楽章後だったのかの説があり、或いはその両方で起こったのかもしれないものの、それはさておき、公演自体は成功と言ってよかった。
 上演後、ベートーヴェンは形ばかりで壇上にいて聴衆に背中を向けたままだった。すでに耳がほぼ聞こえなくなっていたから、気づかなかったのだ。他のひとがベートーヴェンの袖を引っ張り、そこでようやく万雷の拍手を送る聴衆を見ておじきした。
 のちにロマン・ロランというひとが当時のことを(と言ってもこのひとは会場に居合わせたわけではないらしい)感動的に書き綴っている。ベートーヴェンも感動のあまり失神したとのことだった。まあ、情熱的な音楽家なら有り得るかもしれない。
 ともあれ、聴衆は満足して帰ってゆき、ベートーヴェンもまた満足したそうである。ここまでだったら、めでたしめでたし。
 が、蓋を開けてみると、ベートーヴェンがあんなに躍起になっていた収益はなんと見込みの2割ほどしかなかった。2割引きではなく2割。これでは生活が回らない。
 だから、ベートーヴェンが気絶したのは実はそれを知ってからだった、との説もある。それが妙に面白かった。これは中川氏の文章運びが上手いことも挙げられる。試合に勝って勝負に負けた、とでも言うのか。本人には申し訳ないが。
 この初演の、成功なのか失敗なのかビミョーな結果がその後に影響したのか、しばらく第九は不遇の時代を送る。
 詳しいことは本に譲りたいけど、まず今日ぼくたちが聞いているような完全な形として演奏されてはいなかった。当時のひとたちにはとにかく「長い」曲であったらしい。どうせまだあんまりみんな知らないから、とベートーヴェンに内緒で一部をカットした短縮版で公演されることが多かった。時には第四楽章がまるまるカット、なんてこともあった。
 当然ながら、第九の歌唱言語はベートーヴェン母語、ドイツ語だ。
 もちろんこれは元になったシラーというひとの書いた詩もドイツ語であるからともいえる。日本で第九が演奏されるときも、大抵はドイツ語で歌われる。
 けれども例えば、当時英国で第九が公演される際は、音楽の発展した国イタリアの言語に訳された。そもそもドイツ語という一部の国でしか通じないことばで歌われても、聞いてる方としてはちんぷんかんぷんなわけで(多分歌っている方も)、カットしたりオリジナルを無視したり、でもそれが昔は普通だったようだ。
 それになにより、当時の楽団にとって第九はやたらめったら難しかったらしい。
 当時としては珍しい歌唱付きの交響曲だけに、ただでさえ奏者とは別に歌手を集めるだけでもひと手間なのに、やってみたらこれがまた演奏しづらい。そして、やっぱり長い。長いのは嫌だし、最終章には意味のわからない歌がついているし、そんなこんなでいつの間にか「奇妙な曲」とレッテルを貼られてしまった。
 今では世界中のひとびとが愛好している、おそらく世界一有名な交響曲であるのに、初めはボロクソだったのには、意外であり、納得もあった。
 大抵の有名人、名作は、批判と非難から始まるものだ。ぼくの好きな宮崎駿監督も、初監督作品の評価がイマイチで不遇に遭うし、宮沢賢治ゴッホなんかは生きているときに評価してなどもらえなかった。良いものほど、理解に時間がかかる。長いと煙たがられた第九もまた、その良さが受け取られるまでに長い時間が必要だったのだろう。生活費が気が気でなかったベートーヴェンはやってられなかっただろうけど。『運命』の冒頭部分がよく似合う。
 その後第九はメンデルスゾーンワーグナーらの活躍、さらには各国で楽団員の体制が整い技術力が上がってゆくに従ってようやく名曲としての地位を築いてゆく。
 ぼくはこの本を読みながら、ベートーヴェンの人間的な一面を知り、第九の遍歴を学べるような気がした。交響曲が、多くの楽器や声楽が合わさって成り立つように、第九もまた、多くの音楽家によって支えられて現在に至っている。
 本を読み終えたあとに聴く第九は、前よりちょっと違って聴こえてくるかもしれない。