STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

盛岡小散歩

 9月下旬、父の送り迎えで盛岡に行って、用事が終わるまでぶらぶら歩いていたとき、ぼくはちょっとしたこころ惹かれるものを見つけた。
 その日は朝寒かった。
 それでも盛岡に着く頃にはある程度暖かくなっていて、半袖で歩いているひともちらほら見かけた。
 といっても、ぼくは直近まで体調を崩していたので、大事をとってパーカーを羽織っていた。むしろ日陰に入るとまだまだ肌寒く感じた。同じ岩手でも、やっぱり北へ行くほど寒くなるものだ。
 この間来たときからいつ以来か、とおもい起こしながら、駅前を眺め歩いた。
 なにかイベントをやっているらしく、駅前には仮設のステージが組まれていていろいろと準備が進められているようだった。
 それを横目に、ぼくは北上川をまたぐ開運橋を渡りながら道沿いに歩いて行った。北上川沿いは花に囲まれていて青空にもよく映えている。写真を撮るご年配の夫婦もいた。
 どうやらイベントは駅周辺以外でも行われるものであるらしく、ぼくは歩く先々で仮設のステージを見た。実際に澄んだ歌声でひとびとを惹きつけているひとも見かけた。本日の盛岡は音楽一色のようだ。
 ぼくはにぎわいを四方から感じながらアテもなく歩いた。
 
 おそらく菜園通りと名付けられた道を歩きながら、このまま盛岡城址公園が突き当たるところまで進んでみようと散歩コースをかんがえていたときだった。
 そこには人目を引く赤い建物があった。
 建物の名前はホテルニューカリーナ。名前からわかる通り宿泊施設で、盛岡の名物赤レンガ館を想起させる外観が実におしゃれだった。
 ここに泊まる盛岡の旅は心地良いのだろうなあ、とぼくは外観から内観を想像しながらそのホテルを上から下に眺めていった。人間、でかい建物にはまず見上げてしまうものだ。
 ホテルはちょうど十字路の角にあって、菜園通りと交差した側の道路は、その赤いレンガ貼りの外壁によく映える形で生垣が植えてあった。小綺麗に手入れが行き届いており、その彩りに、ぼくはおもわずクリスマスを連想して苦笑した。まだハロウィンも来ていないというように。
 そうしてその生垣とレンガに溶け込むように、一台の、まるで遺物のように佇む真っ赤な電話ボックスが目についたのだった。ぼくはなぜかその風貌に目を奪われた。
 なにかの間違いで撤去されることを忘れられでもしたのだろうか。
 そんなことをかんがえてしまうほど、その電話ボックスはなんだか魅力的だった。うっかり見過ごしてしまうほどこの街にすっかり馴染んでいるようにも見えるし、足を止めてよくよく見るほど「なんでこんなところに」と首を傾げるほど現代には不似合いなものとして異質な雰囲気を感じる。そんな矛盾したアンバランスさがぼくをとらえたのだった。盛岡という都市は、赤レンガ館のようにこうした魅力を持ったものが誇張することなくひっそりと街の風景に混じっているのだから不思議である。
 ボックスだけに真四角だった。
 上の方に英語で「TELEPHONE」とハゲかかった銀の塗装をされた文字が、金縁で囲われている。それが各面に書かれており、ある一面の文字はすっかり塗装が剥がれていた。
 赤い格子に区切られたガラスが辺りの景色を反射している。そのためか中が見づらくてそれが余計に魅力的だった。
 ぼくはしばらくその雰囲気を、その空気感の妙を味わおうと努めた後に、そっとその電話ボックスに入ってみた。バスの扉によく見られる折り戸だった。
 入ると、そこはすでに電話が撤去された後だった。
 天井には、電話へとつながっていた配線が短く束ねられてぶら下がっていた。ガラス戸によって辺りの音が幾分遮断された影響もあってか、本来あるべき電話がなく台座だけがあるその光景はどこか一層の静けさをぼくに与えた。
 確かに、たとえ電話が使えたとしてもぼくは使おうとはしなかった。だからそこになにもないのは現実的というなら現実的になるのかもしれない。
 それでも、そこに電話がなかったことに、本来の通信目的がもう機能しないことに、ぼくはぽっかりとした寂しさを感じないではいられなかった。
 ぼくは改めて台座ばかりの空間を見つめた。そのなにもない空間自体が一種の静物であるかのように感じた。
 こういった日常の中にあるものはつとめて、いつ頃設置され、いつまで使用されていたのか歴史を辿るのがむつかしい。
 これが歴史ある建物であれば案内板の形で説明がされているけれども、ここにあるのは一介の、かつてたくさん設置された電話ボックスの、その単なるひとつだった。だからいつまでこの電話ボックスがひとびとに必要とされていたのか、ぼくはあてもなく想像するだけだった。
 ぼくはなるたけ当時のひとびとになりきりながら、電話ボックス内から外の通りを眺めた。そうしてこの、今ではすっかり無言を貫く電話ボックスにならって、ぼく自身も静かに行き交うひとびとや車を目にしようと試みた。
 ガラスの影響か、はたまた思い出補正か、電話ボックスからの風景はどこか澄んでいてまるで或る種の展示品を見ているかのようだった。
 
 しばし佇んだ後、ぼくはボックス内から外に出た。
 一体どういう経緯でこの電話ボックスが残っているのだろう・・・、ぼくはそんなお節介も想像してみた。元々ここのホテルニューカリーナの持ち物で、経営者が外観だけでも残したいとおもったのか、或いは地元の方々が名残惜しんで撤去を拒んだのか。いろいろと妄想の余地はあった。
 この建物はもう本来の目的を失ってしまっていて、実用面からかんがえたら無駄なものかもしれない。整合性を重んじるのであれば必要の余地はない。
 それでも、これひとつがこの通りにあるかどうかはやっぱり違いがあったし、その違いは小さいものじゃなかった。
 単純に、この現代に昔ながらのものがあるのが、ただそれだけで心地良かったのかもしれない。古き良きものにこころ惹かれるというのか。例えば駄菓子屋なんかそうだ。
 しかもそこにあるのは、自分の全然知らない時代ものではなく、子どもの頃に慣れ親しんだものである、というのが、余計にぼくに懐かしさとともになにか小気味いい感触を呼び起こしたのかもしれなかった。赤い建物の電話ボックスというデザインも、どこか自分には特別な感じがある。
 ぼくは改めて、そこにポツンと建っている赤い電話ボックスを眺めた。
 それは確かに令和の時代の盛岡にありながら、どこか遠い世界、それも少年時代に繋がる世界に連れて行ってくれそうな、そんな不思議なボックスに見えた。こういうものがひとつあるだけで、それが街の幸福論になり得るのかもしれない。懐かしさが幸福に繋がる、といった懐古主義にぼくはあまりいい感情を抱いていないけれども、(おそらくそれはクレしんの大人帝国の影響がある)かつて生活の身近にあった古いものが今でも残っている光景はなんだかんだ嬉しいものがあった。
 やっぱり盛岡はエキゾチックだなあ、とぼくは多少同県のよしみで贔屓しながらおもった。それから、歴史ある建物ばかりでなく、こういった何気ないものもひょっこりひっそりとしぶとく残ってほしいな、ともおもった。それによってほっこりとした気分に浸るひとだって、若干名はいるだろうから。
 案外他の人には、それも地元の人にはなんでもないものであって、たまたま今日まで忘れられた結果残っているのかもしれない。けれどもぼくは、そんななんでもないものに魅力を感じては、またひとつ盛岡での思い出を増やしたのだった。
 ぼくはまた、雑多な風景の中にその電話ボックスのピントを溶かすと、当初の予定通り、盛岡城址公園まで歩いてから中津川沿いを進んで盛岡駅に戻るルートを進んでいった。
 きょうも良い天気だ。