STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

最善の形

 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』についての評論をWeb上でいくつか拾い読みしているうちに、もしかすればこの作品はパラレルワールドの元祖じゃないかとふとおもった。
 といっても、パラレルワールドという世界観を最初に取り入れた作品ではなく、作品そのものがパラレルたり得ていると、そんな風にかんがえたのだった。
 この『銀夜』が作者生前の未発表、未完成作品であることは誰でも知っているし、知らないで読んだとしても未完成に違いないと気づけるように組まれている。そうしてこの未完成性こそがこの作品の姿を多重なものにしている。
 多くの評論家は、この作品に4つの形態があることを指摘している。1922年の最初の執筆から33年の亡くなるときまで、呼称に差異はあってもまず持って初期形から最終形までの4つの形、つまりひとつの作品で少なくとも3回の大幅な改変があったことを見てとっている。
 これを単純に受け取れば、おなじ題名の『銀夜』は4つの世界が存在するとも言い得ることができる。似通いながらも違う展開を見せる世界がそこにあって、まさにこの作品自体が作中に出てくる「不完全な幻想第四次の銀河鉄道」のことばそのものとなっている。
 その中でとりわけ似ているようで似ていない大きなズレがブルカニロ博士の存在と言えるのではないだろうか。
 第三次稿まで登場していた、それも物語上重要な役割を担っていた博士は、最終稿に至るとパッタリと姿を消す。
 例えば井伏鱒二の『山椒魚』は、単行本から自選全集に入れるときに作者が最後の文章を存外バッサリと削ったとも言われている。それによって後味の異なるふたつの作品に分かれた。これもまた初期形と最終形と言えるだろう。といってもそれはあくまで数行を削ったのみであるし、ひとりの登場人物をそっくり物語から消し去った訳ではない。
 ブルカニロ博士のいる世界といない世界、それはなんだかシュレーディンガーの猫の、生きている状態と死んでいる状態とにちょっと重なっている気がしてきてそれでパラレルワールドも頭に浮かんだ。こんな風に言えるのもこの作品が未完成であるが故で(それも未完成だからこそできた)そこが魅力的とも言える。
 もちろん、賢治はちゃんとしたひとつの作品として完成させたかったに違いない。たったひとつの『銀夜』を完成させるための3度の大幅な推敲であって4パターンが存在する作品にしたかったわけじゃない。
 ブルカニロ博士の消失も最善の形に至るための途中の過程であって第何形態というのはのちのひとの便宜上的勝手な分解と分類に他ならない。賢治にとって『銀夜』は常にひとつで、そのたったひとつを求めるための言わば「ほんたうの幸ひ」を形にするための亡くなるまでの推敲であった。
 未完成だからこそのうつくしさというのは読む側からすれば魅力的でも、作者はやっぱりやるせないとおもうだろう。誰だって腹案を抱いたまま亡くなってゆくだろうけれども、やはりそれはむなしい。
 巷にあふれる『銀夜』関連本によるさまざまの考察は、作者賢治にとっては天の川の中のひとつひとつの星のように、未完成のその作品を補うちいさな光とでも言えるのかもしれない。