STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

一期一会

 多くのひとにとって本は一期一会の、一度読んだらそれっきりのものではないかとおもったりする。
 それが読書家であればあるほど、なおさら一冊の本は数あるなかの一部となってゆく。
 本棚に所狭しと本がならんでいる。すると本の内容はまるごと背表紙に集約され、或いは本棚という大きな本のなかに埋まった1ページになる。本棚の持ち主が時折あつめた本をながめる。じいっとひととおり見渡して、ようやく一冊を手にとって、パラパラとめくってまた元にもどす。読み返される本の数は全体の一割にも満たないのかもしれない。
 本の立場につくなら、読書家なんかより本棚もロクにないひとの方がひとつの本を読み返してくれたり内容を憶えてくれていたりしていいような気がする。
 本屋さんの本、図書館の本、一体それら本のなかでだれにも手にとってもらえなかった本はどれほどあるのだろう。そんな余計なことまでついついかんがえはじめてしまう。中身のない本なんでこの世にないけれど、こうなると本は、本棚がある空間を演出するための雑貨に等しい。
 実用性を失った本が骨董品に化けることもあるのだろう。でもそれは読み返される確率よりもはるかに低くて、特に現行販売されているものは本棚に忘れ去られたり、転売されたり、あとは紙の性質を活かして再利用されてゆく。
 本を買う、本を読む、本棚におさめる。もちろん内容が最初にあってのことだけれども、これもあつめつづければ或る種のコレクションと言える。本はフィギュアのような意味をもちはじめ、くり抜かれた内容は電子書籍に受け継がれる。本にとっての唯物論たる背表紙が、ギリギリ読者と内容とを本棚の片隅で結んでくれている。
 絵本や漫画はよくよく読み返される。小説の場合はどうなるのだろう。作者はたった一度読まれるもののために筆を走らせているのだろうか。本も人生のように一回こっきりであるならそれも当てはまる。
 そうやって、結局は全部が思い出のなかにおさまってゆく。