「満天の星空」とよく目にする。
これは、ほんとうは「満天の星」とするべきだそうで、理由は、「満天」ということばだけでもう空をあらわしていて、そこに「星空」とつなげるのは空の意味が二重になっておかしいかららしい。「頭痛が痛い」と一緒でまずい書き方になる。
そうはいったところで、実際に耳で聞くと「星」で切るより「星空」とつづけた方がどこか落ち着くししっくりくる。頭ではわかっていても、いざつかうとなるとどうも「星空」にしてしまいたくなる。
間違ったつかい方であっても、それでずっとやってきたなら逆に正しいつかい方に違和感をおぼえてしまうときがある。
これは箸の持ち方に似ているかもしれない。異なった持ち方であると気づいたところで、それでずっと食べてきたのならいまさら正しい持ち方にかえるのも億劫になる。
この「満天の星空」も或る種の時効として、もう正否の判断をつけることなくひとつの慣用句にしてもいいような気がしてくる。
重要なのは、とにかく空に星がまたたいていることと言える。それもきれいな星空がそこにある。「星空」ということばは自然と、うつくしいという感情をひっぱってきて、なにかおだやかな気分にしずめてくれる。
このおもいを、ただ「星空」と口にするよりも、なんだかより空のひろがりを感じさせる「満天」ということばをくわえた方が、視界からあふれきらめいている星の空をよりよく言いあらわせた気分になれる。ここでの「満天」は空いちめんをあらわす名詞ではなく「星空」の語感をより一層深める修飾語として活きていると言ってもいい。これからはこういったつかい方でもいいとおもう。
ざっくり空想するに、「空」という昔ながらに口にしてきたことばの方が、「満天」というおそらくは中国でできた熟語を音読みでつかうよりも星のまたたくうつくしい夜をあらわすのにはしっくりときて、どうしても語尾に「空」をつけくわえてしまいたくなったのだろう。つまるところ気分の問題、語感の問題が、今日まで間違ったつかい方に知らん顔を決めこんできた要因と言える。ことばはこんな風に、意味さえ伝われば正誤なんて二の次で、しっくりきたもの勝ちかもしれない。