STUDIOwawon

STUDIOwawon(スタジオわをん)は、「かる、ゆる、らく」をモットーに、ことばをデザインしてゆくスタジオです。

役に立たない本

 本に関する雑誌を見ていたら「ここにはいつか役に立つ本がある」といったようなことが書いてある箇所があった。或る書店の店員さんの一言だった。
 役に立つとはなんなのだろう。そうして、役に立たなければそれは本ではないのだろうか。
 つい、そんな意地悪なかんがえが頭をよぎってしまった。
 実際本は役に立つ。
 知らなかったことがわかる、教養が身につく、語彙と知識が増えて能力の幅がひろがる。
 そんな本は大方が手におさまる。文庫本ならなおのことで、そこまで場所をとらないのだからカバンに入れて楽に持ち運べる。便利、と言ってもいい。便利なものは大概が役に立つ。
 売れる本と役に立つ本。さらにはおもしろい本。これらの要素はかならずしも重なるわけじゃない。とはいっても、人気のある本はこれらの要素をまんべんなくふくんでいる。
 それならやっぱり、役に立たなければ読む必要もなく、そもそも本になる必要もないことになってしまうのだろうか。
 たしかに現状では、毎月出版社から大量の本が刊行されて、同時に売れ残った、もう売れる見込みのなさそうな大量の本が処分されてゆく。出版社だって売れてくれなくては困るのだから、人気のない本を役立たずとしてせっせと処分するしかない。そうしないと在庫がかさばる。
 作者にとっては、より多くの読者の手に、とおもって力を込めた本でも、空振りすることはある。むしろ出版社ならそういったアテのはずれることには慣れている。たとえ、その1冊を必要としているたったひとりの読者がどこかにいたところで、1冊だけ刷って手元へとどけるのでは商売になったものじゃない。一定部数の生産と廃棄のながれのなかで運よくつかんでもらうしかなくて、いちいち作者の事情や少数の読者にかまってはいられない。
 役に立たない本というのは、はじめからそうであるのではなしに結果として役に立たなかったということなのか。
 どんな本にも作者はいるわけなのだから、たとえ読者に役立たないと見捨てられても、作者にとっては意味のある1冊となり、大切な1冊となることだってあり得る。
 役に立たなくてもかけがえのない本。それは読者側にだって1冊くらいはあるとおもう。
 つくられた以上は役に立たない本などない、ともかんがえてみたい。
 それは普遍的に役に立ちそうに見えていないだけで、役立つ機会がかぎられているだけで、ただ本を手にする側があつかいを知らないだけとも言える。出会うべきひとに出会えたら、多分そこではじめて本は本になる。
 役に立つ。この一言も、こうやってかんがえてみるとなかなか厄介なことばにおもえてくる。
 たとえばこどもや病気をもった方は、労働の面においてなんの役にも立たないかもしれない。けれどもそれだけをもって無益と判断するのはやっぱりなにかを見落としている。
 ひとも本も結局は一方向からの、それもかぎられた視点でもって判断されるしかないし、判断自体はしないといけない。役に立つかどうかの選別は非常に有効と言える。
 それでも、無用の用ということもある。多くのひとが役に立つと一押しする本も、案外役に立ちそうもないいろんな物事に支えられてできあがっている可能性は充分にある。役に立つものばかりでは役に立つものは生まれてこない。それに役立たないからこそ味わいのある本だってある。役に立ってしまったらかえって魅力がそがれてしまう、そんなどこかしれっとした本だってある。役に立たない本は何冊あっても飽きない。
 どうせなら役に立ちそうもない本ばかりを得意気にそろえた古本屋にでも出会ってみたい気がする。必要とか、重要とか、そんな角張った見方から肩の荷をおろした本たちが、やる気からのがれて互いに寄りかかっている、町外れにでもありそうな一件の本屋。
 そんなことを想像すると、なんだか、本は役に立たないくらいがちょうどよくおもえてしまう。